朝日の誤報問題をきっかけに読売が批判キャンペーンを続けている。その狙いは朝日読者の強奪。「影響力の朝日、販売力の読売」と言われたライバル関係は、熾烈なシェア争いに姿を変えた。どちらが新聞業界の覇王の座を奪うのか──エゲツないまでの仁義なき潰し合い現場をお伝えしよう。
〈A紙作戦 千載一遇のチャンス〉
〈A社、A販売店が一番苦しい時に徹底的に攻撃をしかける〉
読売の販売部門の内部文書には、こんな文字が躍っているという。「A」が「朝日」を指していることは言うまでもない。読売販売店の関係者が語る。
「読売新聞社から、慰安婦報道を紹介したリーフレットが送られてきました。これを朝日読者に配ってほしいというのです」
読売は77年に部数日本一となる。以来、「影響力の朝日、部数の読売」と言われていた。両社の記者の違いを東京新聞論説委員の五味洋治氏が語る。
「朝日は記者個人の志向を生かすのが特徴です。だから、署名原稿も多いし、書かせるととても深みがある原稿になります。読売は軍隊式で、記者個人というより組織取材の力でネタを取るのが特徴です。署名で記事を書くことはほとんどありません」
この読売の特徴は、「読売中興の祖」である故正力松太郎氏の影響が大きい。警察官僚だった正力氏は、新聞記者を警察式に組織化した。ノンフィクション「巨怪伝」(佐野眞一著/文藝春秋)には、正力氏のこんな言葉が紹介されている。
「新聞の生命はグロチックとエロテスクとセ(ン)セーションだ」
戦後、読売は「社会部王国」を築き、事件取材で売り上げを伸ばす。他紙に先駆けて、ラジオ・テレビ欄を作ったのも正力氏だった。彼は「読売と名が付けば白紙でも売ってみせる」という「販売の鬼」と呼ばれた故務臺〈むたい〉光雄氏とともに、1ブロック紙にすぎなかった読売新聞を全国紙へと押し上げていくのだが、こうした“傑物”は朝日にはいなかった。
「朝日は記者で実績を上げた人が役員となっていきます。高い編集能力はあっても、経営のノウハウや感覚を持っている『名経営者』を生み出していないですね」(五味氏)
朝日では編集部門が、販売や広告部門より圧倒的に力を持っていると、元朝日新聞編集委員の川村二郎氏は証言している。
「編集というのは虚業です。販売広告という実業があって、初めて新聞が事業になるわけです。私の時代は10人の役員のうち8人が編集出身で、販売と広告が各1人。どう見ても異様でしょう」
読者に近い販売や広告の意見が、編集部門に届きにくくなっていった。
〈うちの紙面はいいんだから、売れるはずだ。広告も取れるはずだ〉
という編集部門の思い込みは今も抜けていないと、川村氏は考えている。
「紙面のよしあしを決めるのは、作り手ではなく読者です。独り善がりの自画自賛はダメだと言い続けたら、周りから嫌われました」
一方、読売は販売促進において、まだ宝くじの一等が400万円の時代に最高500万円の福引きを行ったほか、巨人戦のチケットも活用した。
読売新聞社会部の記者だった、ジャーナリストの大谷昭宏氏はこう語る。
「オープン戦のチケットは、基本的に販売店系列しか取れないようにしたんですよ。長嶋茂雄さんの出身地の千葉で巨人がオープン戦をやっても、新聞を取っていないとチケットが取れない。やり方がエゲツないんです(笑)。巨人や日本テレビなどと一心同体で、読売新聞はよきにつけあしきにつけ、大衆の中に食い込んでいきました」
販売のためにも巨人は強くなければならなかった。