大きな話題を呼んでいる「昭和天皇実録」。ガンが死に至る病であった時代、最後まで本人に「告知」をしなかった周囲の姿も記録されているが、あらためてわかったのは朝日新聞による病名報道の重さだ。それは雅子妃殿下への「懐妊の兆候報道」へと続く。背後には、「朝日新聞社」と宮内庁との間に起こった51年前の“ある事件”があったという。
1989年1月7日午前6時33分、「昭和」という時代が静かに幕を閉じた──伏せられていた昭和天皇の病状は、その後の記者会見で宮内庁長官が明らかにした。
「十二指腸乳頭周囲腫瘍(腺がん)」
24年5カ月に及ぶ編集作業を経て、今年8月に完成した「昭和天皇実録」。そこには、晩年の昭和天皇が体調を崩される様子が記されている。
異変は87年4月29日、86歳の天皇誕生日に起こる。昭和天皇は祝宴の終盤で気分が悪くなり嘔吐する。その後も食欲不振や消化器の不快を訴えられた。
9月13日の検査で、十二指腸末端から小腸にかけての通過障害が発見される。そして22日には歴代天皇として初めて手術を受けられることに。
戦前は「現人神」とされていた天皇の体に初めてメスが入る──実録は、そんな歴史的な手術後の様子をこう伝えている。
〈手術は無事終了する。御病室に戻られ麻酔からお目覚めになると、大相撲九月場所のテレビ観戦を希望される〉
しかし、のちの検査で昭和天皇の体から、深刻な病変が見つかったのだ。
〈後日、手術中に切除された膵臓(すいぞう)の組織の一部を病理検査した結果、原発部位は不明ながら悪性腫瘍と診断される。ただし、この結果については、天皇には告知されなかった〉
「皇室論」(青林堂)の著書もある神道学者・高森明勅氏が解説する。
「当時、ガンは絶望的な死の病であるという社会的コンセンサスがあり、告知はとても重いものでした。家族が医師とも慎重に相談をして、告知はしないということを選ぶことが多かった。現代のガンを取り巻く環境とは違う。今の天皇陛下は前立腺ガンをみずから公にされましたけど、そういう感覚で捉えられるとズレが生じます」
術後に開かれた会見で、宮内庁はこう発表する。
「ガン組織は認められない。慢性膵炎と考えられる」
実録からは、昭和天皇に病名を伝えまいとする周囲の悲愴な覚悟も読み取れる。
〈陛下御自身には癌であることを完全に秘して、何分御高齢と御体力よりみて、積極的な治療を避けて、出来る限りの御長寿を全うして頂くことに全力を尽くし、特に御苦痛が全くなきよう(中略)充分留意することに致しました〉
昭和天皇が体調を崩される中、88年9月24日、朝日新聞は夕刊1面で、次のように報じたのだ。
〈天皇陛下ご重体〉
〈がん性腹膜炎の疑い〉
〈すい臓部に「がん」〉
記事に「お気持を考え公表せず」とあることから、朝日新聞が、周囲の「ガン告知」に対する気遣いを確信的に台なしにしていたことがうかがえよう。
「『公人中の公人』であるお立場でありますけれども、このようなことが一方的な判断で全国民に知らしめられた。政治的スタンスはそれぞれメディアによって違いがあっていいし、各人各様であっていい。しかし、この報道はいやしくも人間としての当然の配慮、常識が欠落しているとしか思えません」(高森氏)
問題なのは、記事にある次の一文である。
〈陛下はすでにあえぐような下顎〈かがく〉呼吸を始めている〉
最後の呼吸と言われる「下顎呼吸」に怒りをあらわにしたのは当時、侍医長だった故高木顯氏だった。