芸能人の写真が簡単に入手出来る現在と違い、昭和や平成の時代は、写真を入手するためには本人をインタビューするか、あるいは制作発表や記者会見といったオフィシャルな場で撮影するか、またはテレビ局や映画会社から番宣写真を借り、それを使い回すというのが、紙媒体における誌面作りの常套手段だった。
ゆえに、まめに会見を行ってくれる芸能人はストック写真が大量にあるが、めったに制作発表も行わず、単独インタビューも受けない、そんな芸能人の場合は、近影が極端に少ないということになる。後者の代表的俳優のひとりが、田村正和だった。
だからこそ、田村が久々に公の場で会見を行うとあっては、筆者もカメラマンを伴い、帝国ホテルへと急行。それが2007年3月15日のことである。
この日に行われたのは、田村の主演映画「ラストラブ」(藤田明二監督)の製作発表だった。物語はニューヨークでジャズ一筋に生きてきたサックスプレーヤーが、妻の死をきっかけに帰国し、伊東美咲扮する彼女と出会い、恋に落ちるというラブストーリー。映画出演は1993年公開の「子連れ狼 その小さき手に」以来14年ぶり。したがって、映画の製作発表も久々とあって、いくぶん緊張気味の田村はこう語り始めた。
「僕はもともと、松竹の大船で映画をスタートしました。その頃は親の七光りが凄くて、主演映画を4~5本用意してくれたんですが、遊びの方が忙しくて、耐えられなかった。要するに、映画に失敗した俳優なんです。したがって、映画に対し臆病になるというか、後ずさりしてしまう気持ちがあった。テレビの世界で育ててもらった、という気持ちもありましたしね。(舞台挨拶を)14年前にもやったんですが、ほんとに悲しくなりました」
今回、映画出演を快諾したのは、スタッフが以前、仕事を共にした「ニューヨーク恋物語」(フジテレビ系)のメンバーだったことが大きいという。大御所による久々の公式記者会見に、芸能マスコミからは、直近に再婚した大地真央の話題が持ち出される。
「以前、田村さんと共演した大地さんが結婚を発表しましたが、ラストラブを実らせた大地さんにメッセージは?」
そんな実にワイドショー的な質問が飛び出し、会場がどよめくひと幕もあったが、田村は、
「古畑で1話だけゲストに出てもらっただけだからね、よくわからない。ラストラブにならないかもしれないでしょ」
そう言って上手くかわし、会場を沸かせたものである。
田村は会見から11年後の2018年、「眠狂四郎 The Final」(フジテレビ系)を最後に、表舞台から姿を消した。「役者として十分やり切ったので、フェードアウトするように静かに身を引きたい」…そう話していたという。
自身の美学を最後まで貫き通した男は2021年4月3日、向こうの世界へ旅立った。享年77。会見で見せたあの男の色っぽさは、今も忘れることができない。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。