「オヤジの死に顔を見て、悲しいという思いはなかったです。この数年の中でなぜか、いちばん凛とした顔に見えました。威厳があって、不思議で感慨深かった。涙は出ませんでした」
13年4月14日、急性呼吸不全で亡くなった三國連太郎。息子の佐藤浩市は翌15日、記者会見で、父に対する複雑な思いを吐露した。
三國は「飢餓海峡」「未完の対局」など数々の名作に出演。日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を3度も受賞した名優だ。一方で、名うてのプレーボーイと呼ばれ、私生活では4度の結婚を経験。3番目の妻との間に生まれたのが、佐藤だった。
高校2年で家を飛び出した佐藤は大学時代に「役者になりたい」と三国に相談。すると父は「おやりになるなら、親子の縁を切りましょう。一切、君の芝居は見ません。演技についても、何も言いません」と突き放した、というのは有名な話。そんな2人が初めて共演したのが、96年4月に公開された映画「美味しんぼ」(松竹)だった。
同作は新聞社の企画による「究極のメニュー」をめぐり、疎遠になっていた父子の対立を描くドラマ。公開前の3月15日、映画の製作発表記者会見に臨んだ2人は、のっけからお互いを「佐藤浩市君」「三國さん」と呼び合うなど、他人行儀なムード全開。
さらに「俳優とはサービス業。親子が親子を演じることに勝るサービスはない」と佐藤が言えば、三國は「カメラの前で演じる瞬間は、サービスではない」と切り返す。「胸を借りるといえばわかりやすいんでしょうが、そんな気はさらさらない」とする佐藤に対し、三國はこう言った。
「佐藤浩市君という人は、僕のやり方を否定してきたし、これからも否定していく人だと思う。しかし、血の繋がりは否定できない。『運命的な2人』が親子の話で共演することで、予期せぬ何かが出ればと思った。思い出の作品になるのではないでしょうか」
映画の宣伝とも本音ともとれる2人の掛け合いに、会見が大いに盛り上がったことを思い出す。
だが、この映画をきっかけに再会、さらに佐藤に長男が誕生すると、最愛の孫を挟んで、父子の交流も始まったという。
三國の告別式はつつじが咲き誇る4月17日、駿河湾を一望できる沼津の別荘で行われた。喪主あいさつに立った佐藤は、こう語った。
「(通夜だった)昨日は、撮影を休むことは故人の遺志に沿うとは思えなかったので、自分は撮影に参加させていただきました。三國はもう一度、現場に立ちたいと、どれだけ思っていたことか。『お前、今日のことを思い出してみろ。そしたら不遜な芝居もできないでしょう』と三國が言っているような気がしました。最後にまた、三國連太郎に教えられた気がします」
恩讐の念を抱きながらも、俳優を貫いた父。その背中は息子にとって、あまりにも大きかった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。