青色LEDの発明の功績によりノーベル物理学賞に日本人3人が選ばれた。その中の1人、特許問題で所属企業と訴訟になり、絶望的な心境から日本を捨てた中村修二教授は、自らの研究の原動力をこう表現した。
「怒りだ」
多くの自己啓発本や、心理学者たちは「怒り」について「怒りをためこまずぶちまけるべきだ」「怒りは発露すべきだ」と語る。
しかし、多くのアメリカメディアにコメントを寄せる、アイオワ州立大学のブラッド・ブッシュマン教授は米科学誌「今日の心理学」で、こんな実験結果を発表している。
<怒りを表わすと、実際には攻撃性が増す>
ブッシュマン教授は、被験者にサンドバッグをたたかせ、怒りを吐き出させた。しかし、被験者たちは、そうしなかった人たちより、攻撃性や残酷性を2倍も強く表わしたのだ。
確かに「怒り」は、自分の心を支える何かにはなる。しかし、発露した「怒り」は次の「怒り」を生んでしまう。また「ノーベル賞」を誰もがとれないことは明らかだ。つまり、中村氏のように「怒り」を継続させることが有益に働くことはかなりまれなことといえる。
だからブッシュマン教授はこうも解説する。
<あえて冷まそうとするよりも、ただ火の元を断ちなさい。10まで必要なら100まで数えれば怒りは収まるだろう>
「禅」はこれに近い考え方がある。芥川賞作家の玄侑宗久氏は自著『「いのち」のままに』で、こう解説している。
「禅では、人は生まれながらにして充分に足りた存在だと考えている。すでに仏になれる可能性(仏性)がある。「禅」の究極の目標とは人に備わった「本来の自己」を開花させることである」
「怒り」もまた、あとから「付着した私」がなすことだ。ブッシュマン氏の研究から考えれば、発露するのではなく、無意識に剥がすほうが次の怒りを呼ばないはずである。
「禅の厳しい修行は、自分を追い詰め『本来の自己』に付着した『私』を追い出し、『いのち』そのものとして世界に向き合うためのものです」(同書より)
最新の心理学が解き明かした「怒り」のメカニズム。玄侑氏の本には「怒り」と向き合うヒントに満ちているといえよう。