「私、昔から男運悪いんですよ」
2009年4月28日、都内で離婚記者会見を開いた仁支川(当時は西川)峰子は苦笑いした後で、涙を浮かべた。
仁支川は2001年、島根県隠岐島の7歳年下の元町会議員A氏と結婚。隠岐島は後鳥羽上皇や後醍醐天皇が配流されたことで知られる離島だが、A氏の実家は48代にわたり後鳥羽上皇の墓守を務めてきたという、島きっての旧家だった。
49代目にあたるA氏は、当時は海土町の観光協会に勤務していたのだが、2人が知り合ったのは前年11月だ。仁支川がテレビ番組の収録で島を訪れ、町の風土と新鮮な食材に大感激。再び島を訪れる中、6回目のデートでA氏が彼女にプロポ―ズした。7月20日に行われた結婚式は島をあげてのお祭り騒ぎになり、記者会見で「年も年だし、長男の嫁なので子供がほしいです」と笑顔でのろけまくった仁支川の満面の笑みは、今も脳裏に焼き付いている。
結婚後、仁支川は隠岐島に新居を建て、A氏のために都内に店を開くなど、生活面でも援助。島と東京を行ったり来たりの生活を送ってきた。しかし、幸せな生活は長くは続かなかった。原因は夫の浮気だ。
「2年ほど前に『もしかしたら浮気かも』と感じさせる出来事があり、それが確信に変わりました。結婚する時に『浮気したら離婚する』というのが約束でしたから」
結婚後は子供を授かるため、不妊治療を行っていたという彼女。やり直そうとした時期もあったようだが、実母のように慕っていた祖母が亡くなり、
「糸が切れてしまって、もう限界でしたね。もしおばあちゃんが生きていて『耐えてやって』という声が聞こえたら…う~ん、でも、結果は変わらなかったかなぁ」
そう言うと、仁支川は涙目で天を仰いだのである。
かつては火野正平との交際をはじめ、数々の恋愛を経験。恋多き女と思われてきたが、彼女を知る音楽関係者は、筆者の取材にこう語っている。
「確かに彼女は男に惚れっぽい。それでいて、好きになった男が家に帰ってきたら、ワイシャツから靴下まですべて脱がせてあげるという、とことん尽くすタイプ。しかも男と別れ際に、財布を見て金が入っていなかったら、そっと入れておくような女性だからね。だから男が甘えちゃうんだよ。結婚には向いていないかもしれないね」
交際わずか16日で入籍した2人は結局、7年で離婚することになったわけだが、仁支川は会見の最後をこう締めくくった。
「離婚はしましたが、人生で結婚を経験させてもらったことには感謝しています。ただ私は当分、男の人はいいです」
それから14年の歳月が流れたが、彼女は宣言通り、独身を貫いている。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。