わざわざ川崎まで出かけるいうと、普通なら競馬か堀之内か南町か…ということになるのだろうか。
ところが私の場合は少々事情が異なっていて、40年以上も前から川崎競輪だった。かつて川崎競輪の隣にあったのは、両翼が短いロッテ球団の本拠地。デーゲームの日は、野球ファンの歓声を聞きながら車券を買うことが多かった。
そんなわけで、すぐそばの競馬場にも、いわゆる特殊浴場が建ち並ぶ堀之内や南町にも、足を踏み入れたことがなかった。
川崎は不思議な街で、駅から延びた大通り沿いに市役所など公共の施設があり、右に競輪場、左に曲がると競馬場が、競輪場と競馬場の真ん中あたりに堀之内がある。さらに言えば、駅周辺は一大飲み屋街になっている。
役所もギャンブル場も性サービスも飲み屋も集中してある街は、旅打ちで全国に出かけても、ここ川崎しかない。玉成混交が当たり前の街だから、川崎の人には衒いや恥じらいのようなものを感じない。横浜のようにスカした感もない。
8月25日、川崎競馬第6回5日目。初めて川崎競馬場に足を踏み入れた。川崎駅から歩けば競馬場まで15分だが、川崎駅から京急を利用し、大師線でひとつ目の港町駅で下車した。改札横には等身大の美空ひばりの写真と、1957年発売の「港町十三番地」の歌碑が展示されている。♪あゝ港町 十三番地~。歌碑下にあるボタンを押すと、ひばりの歌が流れてくる。
この駅から競馬場へは徒歩2、3分の距離。いつまで続くこの猛暑、カンカン照り。川崎競馬場は良馬場だった。大井、川崎、浦和、船橋を南関4場という。山口瞳は「草競馬流浪記」の中で「南関」を「難関」と書いている。難しいのである。その理由は薄々わかっていたが、この日、その真髄を思い知らされた気がした。
川崎に他の3場から遠征して交流するレースは多く、馬も騎手も異なる馬場を走るレースも多い。仮に川崎以外に出かけないようなファンにしてみれば、他場の馬の状態、騎手の腕前などがイマイチわからないのは、想像に難くない。ファンはそういう事情を込み込みで挑むことになる。「難関4場」行脚は、そんなリスク覚悟のギャンブルなのだ。
3Rから6Rは2歳新馬のデビュー戦だった。わからんよね、初めて見る馬だから。しかし6頭か7頭という少数頭のレースなので、馬券はわりと絞りやすい。
4Rは6頭立て、左回り900メートル。⑥サクラギがグリグリの大本命だ。能試(能力試験)の800メートルの走破タイムが他の5頭とは2秒以上も違っている。⑥から2着だけ絞り切れれば…。3連単⑥①から3着3点で、2番人気の⑥①④740円をゲットした。
新馬戦の最後の6Rは昼メシ代のつもりで、配当が安くても3連複②③⑥を。これが220円。もちろん1番人気だった。セコい。けれども「難関4場」はムキにならない、熱くならない余裕が必要かもっしれない。
川崎競馬場には1コーナー寄りの1号スタンドと、ゴールを正面に見ることができる2号スタンドがある。この日はあまりの暑さ。時々、冷房の効いた場所でもゆっくり観戦できるように、2号スタンド4階の特別観覧席A(1600円)をキープして、場内を歩き回った。4階までエスカレーターで上がって行く途中で、タンメン単品で勝負している「みよしタンメン」見っけ! 昼メシはここしかない。
豚肉、そして野菜はほぼキャベツ、細麺あっさり味(写真)。ラー油をたっぷりかける。お客さんが引きも切らない。川崎競馬のお客さんは、ここのタンメンの旨さを知っているのだ。
(峯田淳/コラムニスト)