本サイトが7月14日に公開した記事でも指摘したように、「ワグネルの乱」を主導したエフゲニー・プリゴジン氏について、独裁者プーチンは当初、「裏切り者はゆっくりと始末すればいい」と考えていた、と言われている。
その理由は、プリゴジン氏らをすぐに始末すれば、世界中から「暗殺者」の汚名を着せられることになるばかりか、首謀者であるプリゴジン氏がロシア国内で「英雄視」され、新たな反乱の火種になることを警戒したからだ、とされている。
ところがワグネルの乱から2カ月後の8月23日、プリゴジン氏をはじめ、ワグネルの最高幹部らが搭乗していたプライベートジェットの墜落という形で、裏切り者は葬り去られたのである。いったいなぜか。引き金の舞台となったのは、アフリカだった。
実は墜落事件の5日前、プリゴジン氏は中央アフリカの首都バンギを、プライベートジェットで訪れている。ワグネルにとってアフリカは、重要な海外活動拠点。その後、プリゴジン氏はアフリカ北西部のマリにも立ち寄っているが、このアフリカ訪問の際、プリゴジン氏はSNS上で概略、次のような声明を動画とともにブチ上げていた。
「ワグネルは今後も与えられたタスクをこなしていく。われわれはアフリカをさらに自由にする。アフリカの人々に正義と幸福を。万事順調だ!」
プリゴジン暗殺劇の舞台裏に詳しいロシア専門家が明かす。
「アフリカ発とされるプリゴジン氏の声明は、自身の存在や影響力を改めて誇示したもので、これらの言動が独裁者プーチンの逆鱗に触れたのです。ワグネルの乱の後、プーチンはワグネルが手中に収めてきたアフリカ利権を、ロシア軍に移行させる計画を進めてきた。プリゴジン氏はこの乗っ取り計画に激しく反発し、8月20日前後のアフリカ訪問も、徹底抗戦の一環だった。この増長ぶりを目の当たりにしたプーチンは怒り心頭に発し、『裏切り者はゆっくりと始末する』というそれまでの方針をかなぐり捨て、関係当局に『プリゴジンを急いで始末しろ!』との大号令をかけたのです」
かくして、アフリカからロシアの首都モスクワに帰着した直後、プリゴジン氏らを乗せたプライベートジェットは、モスクワ北方上空で破壊されたのである。
(つづく)