アメリカの「ウォール・ストリート・ジャーナル」は7月13日、ロシアの民間軍事会社ワグネルが反乱を開始してからわずか数時間のうちに、治安機関が反乱に協力したロシア軍の高官らを拘束していたと報じた。
同紙によれば、少なくとも13人の軍高官が拘束されたほか、15人が職務停止や解任に追い込まれた。拘束された軍高官の中にはロシア軍副司令官セルゲイ・スロビキン氏をはじめ、軍の情報機関GRU(参謀本部情報総局)の副局長も含まれていたというのだ。
一方、ワグネルの乱を主導したエフゲニー・プリゴジン氏については、反乱から5日後の6月29日、プーチン大統領とプリゴジン氏がモスクワにあるクレムリン(ロシア大統領府)で会談していた事実を、大統領府が明らかにしている。会談にはワグネルの司令官ら35人も参加し、3時間にわたって協議が行われたとされる。
軍高官らの拘束、そして首謀者との会談。独裁者プーチンはいったい、何を考えているのか。プーチン政権の内情に詳しい国際政治アナリストが明かす。
「軍の高官らを拘束した治安機関は、FSB(連邦保安局)とみて間違いないでしょう。FSBは旧ソ連のKGB(国家保安委員会)時代から、GRUとは対立関係にあった。反乱の知らせを聞いて驚いたプーチンは、自分の出身母体であるFSBに命じて、反乱が政権を揺るがす内戦へと拡大する前に、反乱に協力した疑いのある軍やGRUの高官らを、急ぎ取り押さえたと考えられます」
ならばなぜ、軍やGRUの高官らの拘束からわずか5日後に、反乱の首謀者であるプリゴジン氏と会談を持ったのか。国際政治アナリストが続ける。
「プーチンは裏切り者を絶対に許さない、冷徹な独裁者です。しかし、このタイミングでプリゴジンを亡き者にすれば、プリゴジンがロシア国内で英雄視され、軍やGRUによる新たな反乱を招くことになる。そこでプーチンは、一計を案じた。つまり、反乱に協力した軍やGRUの高官らを秘かに粛清した後、首謀者であるプリゴジンをゆっくりと始末するというのが、プーチンが捻り出した苦肉の策だったのです」
裏切り者は闇から闇へと葬り去る──。逆に言えば、今のプーチンはそれほどまでに窮地に追い詰められ、盤石だったはずの独裁体制が揺らぎ始めているということだ。