「ワグネルの乱」を主導したエフゲニー・プリゴジン氏が墜落死した翌日の8月24日、ロシアのプーチン大統領はウクライナ東部ドネツク州の親ロシア派代表との会談の場を借りる形で、モスクワのクレムリン(ロシア大統領府)内にある大統領執務室から、プリゴジン氏への哀悼の意を、次のように表明してみせた。
「彼はウクライナのネオナチ政権と戦うという共通の大義に、多大な貢献をしてくれた。彼のことは1990年代初めからよく知っている。複雑な運命を背負った男だった。人生で重大な過ちを犯したが、私の求めには必要な結果も達成した。才能のある人物だった。彼は昨日、アフリカから戻ったばかりで、ここで何人かの関係者と会っていた」
まさに自らが葬り去った反逆者に白々しく弔辞を送る独裁者の図、と言うほかないが、なぜプーチンはこれほどまでに手の込んだメッセージを国内外に発信したのか。
まず考えられるのは、心にもない弔辞を平然と口にすることで、隠然たる独裁者ぶりを改めて誇示すべく、ひと芝居打った、というシナリオである。およそ人間の所業とは思えない恐怖のやり口を目の当たりにすれば、体制内の不満分子もさすがに背筋を寒くして震え上がるだろう、との魂胆だ。
だがそれは、殺戮王プーチンが暗殺やクーデターを病的なまでに恐れていることの裏返しでもある。プーチンの行動や心理を分析しているロシア専門家によれば、
「プーチンはワグネルの乱に肝を潰した。反乱部隊がモスクワに迫りつつあることを聞くや、クレムリンの地下にある秘密の鉄道駅から特別装甲列車に飛び乗り、バルダイ(モスクワとサンクトペテルブルクの中間地点にある都市)にある秘密の別荘に逃れ、その地下壕で縮み上がりながら趨勢を見守っていたと言われます」
その後、プーチンはプリゴジン氏をどう始末するかについても迷い続けたといい、
「プリゴジンには同志もいれば、賛同者もいる。結局、暗殺後に表明された哀悼の辞は、内乱の影に怯える独裁者の、窮余の一策だった」
誤算の連続の中で今、プーチンは次第に自信を失いつつある。
(つづく)