静岡県にある浜名湖の湖底に戦車が沈んでいる──。奥浜名湖北岸に位置する浜松市北区三ヶ日町では、海底の捜索が続けられている。
地元の地域活性化団体「スマッペ」(053・525・3522)は、12年2月から十数回にわたって戦車の探査をしている。だが、鉄管で湖底を叩いたり、湖底の状況を音波で探り、反応があった地点でダイバーが潜ったりしたものの、堆積したヘドロに妨げられ難航しているのが現状だ。
「今後は位置や大きさを特定する磁気探査を計画中です」
と言うのは、事務局長の中村健二氏。
戦車は終戦時に米軍から隠すため秘密裏に沈められたと言われ、実際にその様子を目撃した住民もいる。その証言によれば、3両の戦車が湖面に向かって発進していったという。
「のちに(内密に)1両が引き揚げられたという証言があります。残り2両のうち1両が“幻の戦車”なのでは、と調べるほどに信憑性が高くなっています」
“幻の戦車”とは旧日本軍が終戦直前に本土決戦に備えて製造した「四式中戦車チト」。当時の技術力を結集した、いわば戦艦大和と並ぶ、陸軍の切り札となる秘密兵器だった。発見されれば、昭和の裏面史を知るうえでの貴重な手がかりとなる。
旧日本軍の戦車は日中戦争以来、歩兵を支援する目的で量産されたものだった。そのため、装甲は薄く“走る棺桶”と揶揄された。一方、チトは全備重量30トンで400馬力、75ミリ砲を装備した、対戦車戦闘に十分対応できる最新鋭の戦車だ。2両の試作機が製造され、1両は終戦時に千葉戦車学校(現在の千葉市稲毛区)から米軍が接収し、以後の消息は不明。国内にあるはずの残りの1両の行方も不明とされていた。
「遠州灘から米軍が上陸してくることを想定した旧日本軍は遠州灘沿岸に160両の戦車を配備したんです。その中に最新鋭兵器であるチトがあっても不思議ではありません」(中村氏)
さらに調査を進めると、陸軍技術少尉だった大平安夫氏(故人)にたどりついた。彼こそ水没作業の指揮官だったのだ。
大平氏は戦車整備隊の技術少尉として昭和19年に三ヶ日町へ赴任。秘密裏に地形や地理を20名の部下とともに調査していたという。中村氏が語る。
「調査は本土決戦に備えてのことでしょうが、浜名湖の水深も調べていたのでは。終戦を迎え、米軍からチトを守るため秘密裏に水没させたのでしょう」
大平氏は終戦後も三ヶ日町にとどまり、自動車整備会社を営んでいた。生前、新聞やテレビの取材を受けたこともあり、陸軍中将の命令を受けて浜名湖に戦車を沈めたことを証言している。しかし、その戦車がチトであるとはひと言も語っていないという。
「テレビの取材で湖面に向かって指をさすシーンがあります。それはチトとともに沈めたダミーの戦車が沈んでいる方向なんです」(中村氏)
大平氏は84歳の生涯を閉じるまでチトのことは一切語らなかった。そもそも故郷に戻らず、なぜ三ヶ日町にとどまったのか? そこに人生を賭してチトを見守るという強固な意志が伝わってくるのだが‥‥。
探査の話に戻そう。「スマッペ」は磁気探査費用をインターネットで募る「クラウドファンディング」を利用して集め、年明けの活動開始を目指している。
「目標額は360万円で、現在200万円を超えたところです。目標金額に届かなければ計画は頓挫してしまいますのでぜひとも協力してください」(中村氏)
受付は11月29日まで。1口3000円以上で金額に応じて三ヶ日町特産のミカンや町内ホテルの食事券などが贈られる特典もある。