夏の風物詩ともなったチャリティー番組「24時間テレビ愛は地球を救う」(日本テレビ系)のエンディングでは、毎年「サライ」を出場者全員で歌唱。ところが今年は「主」の姿がなかった。
3月に腸炎の手術を受けてから療養していた谷村新司さんが10月8日に息を引き取っていたことが、16日に明らかになったのである。74歳だった。葬儀は15日に、近親者のみで営まれたという。
谷村さんは1971年に堀内孝雄とフォークグループ「アリス」を結成。72年に矢沢透が合流した。「冬の稲妻」(77年)、「チャンピオン」(78年)とヒット曲を次々にリリース。78年には日本人アーティストとして初めて、日本武道館3日間公演を成功させたことでも知られる。
その谷村さんを象徴する楽曲が、1980年4月1日にリリースされた「昴-すばる-」だろう。自身最高となる60万枚の大ヒットを記録したのだが、意外な事実が2つある。
まず、オリコンチャートの最高位は2位で、1位にはなっていないという点。トップの座を阻んだのは累計売上200万枚、当時10週連続で1位を独走していた、もんた&ブラザーズの「ダンシング・オールナイト」だった。
もうひとつは、谷村さんが「昴」でNHK紅白歌合戦に出場したのは1987年だったことだ。リリースから実に7年もかかっており、しかもこれが紅白初出場。
「というのも、谷村さんには紅白を辞退し続けていた経緯があったからです。が、下降気味だった視聴率の上昇を期して、NHKが谷村さんを切り札にと強く打診した。初出場ながらトリから2番目でステージに立ちました。ちなみに、この87年からは16回連続で紅白にソロ出場。『昴』は最も多く、5回も歌唱されています」(音楽ライター)
堀内が発表したコメントは「来年のツアーに向けて回復に向かっていると伺っていただけに、とても残念です。チンペイさんが、あの時誘ってくれなかったら、今の僕はありません。ずっと一緒に音楽活動ができたことが幸せでした」。
そして矢沢は「悲しいというより悔しいんです。谷村はもう僕たちのみんなの心の中にしか住む場所がないのです。思い出せば必ず胸にやってきます、どうか谷村を忘れないで下さい」。
合掌――。
(所ひで/ユーチューブライター)