先日、〈伊藤つかさ 竹の子族のヒロくん(沖田浩之)にキャー「3年B組金八先生」で過ごした青春〉と題するインタビュー記事を目にした。「女性自身」(WEB版)が配信したものだが、久しぶりに並んだ2人の名前に、ふと懐かしさをおぼえた。
2人は「金八」シリーズ第2弾で共演。伊藤は当時、中学2年生で、沖田は高校3年生だったが、
〈竹の子族として雑誌にも出ていたので、周りの女のコたちもキャーキャー言っていました。第1シリーズのたのきんトリオに続くスターになるのはヒロくんだって、みんなが思っていたんです〉
伊藤がそう話すように、歌に芝居にと、沖田は人気若手スターの道を歩んでいくことになる。
実は筆者も「金八」終了後、しばらく経ってから伊藤に、当時の思い出についてインタビューしたことがあった。そこで本当に、昨日のことのように楽しく語っていたことを憶えている。
そんな沖田が36歳の若さで、神奈川県川崎市内の自宅で自ら命を絶ったのは、1999年3月27日だ。所轄署によれば「亡くなったのは2階の寝室で、鴨居に着物の帯をかけたままの状態で家人が発見。遺書はなかった」という。
その後、警察は自殺と断定。関係者を取材すると、借金に悩んでいたとの話はあったものの、遺族も口を固く閉ざしたことで、原因が明らかになることはなかった。
沖田の訃報を聞き、往年の芸能記者たちの脳裏をよぎったのが、かつて恋人と噂された女優・山本陽子のことだ。2人は1980年代半ばにドラマで共演、すぐさま恋人関係に発展した。とはいえ、沖田は当時21歳。一方の山本は42歳だ。
交際は2年ほど続いたが、母子ほど年の離れた2人の交際には反対の声が多く、結局、山本が身を引く形で交際は消滅した。沖田はその後、一般女性と結婚したことで、2人の交際は「過去の思い出」となっていたことだろう。
だが、これを数奇な運命というのだろう、山本のかつての恋人である田宮二郎も、1978年12月に東京・麻布の自宅で猟銃自殺している。過去の恋人とはいえ、今度は沖田までもが命を絶ったことで、その因縁めいた結末に芸能マスコミの関心が集中することになる。
沖田の死後の3月29日、東京・銀座博品館劇場で舞台の制作発表後、囲み取材に答えた山本は言った。
「彼は非常に優しくて、完璧主義者で、誰からも愛されて素晴らしい人間でした。今は青春の1ページとして(思い出を)残しておきたいです。適当な…言葉が浮かびません。心からご冥福をお祈りいたします」
そう話すと涙が溢れ出し、そのまま会場をあとにした。翌30日、31日には冷たい雨が降りしきる中、沖田の通夜、告別式が執り行われたが、そこに山本の姿はなかった。
葬儀の後、かつて2人の愛の巣だった山本のマンションを訪ねた。だが深夜まで、その部屋に明かりが灯ることはなかったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。