やっぱり、あの号泣会見は大ウソだったようだ。
泉ピン子が人間ドックの担当医で4歳年下のT氏と、彼の両親の大反対を押し切り極秘入籍したのは、89年7月。当時、大分にあるT氏の実家を訪ねると、母親は「息子はあの女に奪われたんです。だから絶対に、うちの敷居はまたがせません!」と怒り心頭。あまりの激しい言葉に、両者の間の埋められない溝を感じたものだ。
ところが結婚して6年目の95年9月、そんなT氏に元看護師の不貞相手と、生後2カ月になる隠し子がいたことが発覚。9月29日、ピン子が単独で記者会見に臨むことになった。
この日は愛用のシャネルを封印。化粧っ気のない顔に腫れた瞼、地味なグレーのスーツ姿で登場したピン子は、憔悴しきって足元もおぼつかない様子だ。
「世の中でいちばん、夫に愛されていると思ってました。一度も疑ったことはありません。信じていました。私に子供ができればよかったんですが…でも、この愛を嘘だと思いたくないし、こういうことがあったからといって、彼を嫌いにはなれません」
そう語ると、彼女の瞳からは大粒の涙があふれ、幾重にもなって頬を伝った。
そして会見の後半、突然あたりを見渡し「読んでいいでしょうか」とピン子が読み始めたのが、夫からのバースデーカードだった。ドラマで言えば、クライマックス前の最も盛り上がる場面。涙ながらに手紙を読み上げるそのシーンに、なんとなく違和感を感じた。
だがこのドラマ、以降はめくるめく展開もなく、結局は元のさやに納まるという形で最終回を迎えた。
ところが、である。
あの号泣会見から27年を経た今年、初の朗読劇「泉ピン子の『すぐに死ぬんだから』」に挑戦することになったピン子が8月2日に記者会見を開き、
「あれは、橋田(壽賀子)先生が書いたシナリオ。(本当は)離婚したかった」
とカミングアウトしたのだから、もうビックリだ。
会見でピン子は、橋田氏から「ご主人からもらったラブレターを会見に持っていって、大泣きしなさい。そしたら女性が同情するから」と言われたそうだが、
「それがバッシングでしょ。あたし怒ったわよ、橋田先生に」
これが真相だったのだ。共演者の村田雄浩も目をパチクリさせるばかりだったが、
「イヤなことは忘れるのが一番。だから、前向きに生きられるのよ」
と悪びれる様子もないピン子に、「女優魂」ならぬ「雑草魂」を見たのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。