愛媛県松山市の観光列車「坊っちゃん列車」が、11月から当面運休となった。土日、祝日に運行していたが、伊予鉄と伊予鉄バスは運転士不足などを理由に、11月以降の路面電車と路線バスの減便とともに決定。
運転手不足による各地の市電やバスの減便、廃線は深刻化している。北海道や岩手、奈良といった地方はもちろん、東京や大阪という大都市圏でも、郊外の路線バスが減便または廃止される事態に。さらにバスやトラックの運転手の残業時間が年間960時間以上を超えた場合、事業者が処罰される規制が始まる2024年4月からは、都営バスですら影響を受けるものとみられる。
鉄道オタクとしても知られる将棋の藤井聡太八冠が「棋士になってなかったら、電車の運転手になりたかった」と語ったことがあるほど、男児の憧れだった「電車やバスの運転手」がなぜ、人手不足なのか。
知り合いの鉄道研究会の少年たちに尋ねても「運転手なんてやらない」と、すげない答えが返ってくる。鉄道オタクのクセに、なぜ運転手になりたくないのか尋ねると、その理由がヤバかった。以下、少し長くなるが、紹介してみる。
「将来性がないから」
「バスの運転手だと、道路が渋滞したら昼休みも取れない」
「クレーマーの乗客対応なんてしたくない」
「長時間の待機時間、残業を強いられることもあるのに、給料は年収400万円に満たない。いつ自動運転に切り替わって運転手がリストラされるかわからないのに、貯金もできない」
「こんなに毎日、人身事故が起きてると、いつか自分が人身事故で人を死なせてしまう。憧れの運転手になっても人が飛び込んだ光景を忘れられず、精神を病んで一生を台無しにするのはイヤだ」
「何かミスすれば、メディアに叩かれる。それなら給料のいい仕事に就いて、気楽に鉄道旅を楽しみたい」
ミスは許されず、クレーマー対応もしなければならず、サービス残業で自分の命を削っても、高校を卒業したばかりの18歳の若者が定年を迎えるまでには、蓄えもできない安月給で使い捨てられるだろう、という超悲観的な見通し。おそらく正解なのだろう。
1990年代のバブル崩壊や、2000年代のリーマンショックを機に、ヨーロッパでは社会保障制度の見直しと、来る労働人口減少を補う人工知能の開発にシフトチェンジした。ところが日本の政治家と官僚は、安倍晋三内閣の「アベノミクス」に象徴するように、実用化が難しい新薬事業や再生医療事業、将来性のない老人バラマキと老人福祉に、国家予算とマンパワーを割いてきた。
もし20年前、日本でも自動運転、遠隔操作の技術開発と、それを支えるIT技術に予算とマンパワーを「選択と集中」していたら、今頃は無人バスや無人路面電車を実用化できていただろう。
そして10月26日にはまた、静岡県内で75歳の老人が運転する車が下校中の小学2年生3人をはね、1人が意識不明の重体、2人が重症を負うという悲劇が起きた。老人の運転で次々と子供が犠牲になるくらいなら、研究段階の自動運転車の方がまだマシなのではないか、と思えてくる。
なぜ日本で自動運転やAI技術の開発が遅れたのか。ある自動車メーカーの技術者が言う。
「車の自動運転やAIが普及したら『中抜き業者』にカネが入らないからです。ほら、自公政権で長らくブレーンを務めてきた『あの人』は、人材派遣業のラスボスでしょ。『派遣社員』と『外国人労働者』がAIやロボットにとって代わられると、政治家とその取り巻きはカネ儲けできない」
日本から子供が絶滅するまで、老人に子供が轢き殺される現状を放置するのが「増税クソメガネ」こと岸田文雄総理の言う「異次元の少子化対策」なのか。
(那須優子)