自身が死去する10年以上も前から、「立川雲黒斎家元勝手居士」という戒名を自筆で書き記していた。そんな落語界の重鎮、立川談志が2011年11月にこの世を去ってから、もうすぐ12年。生前、筆者も談志の記者会見を何度か取材したことがあるが、やはり忘れられないのが1997年9月12日、担当医師同席のもとで行われた「ガン告白」会見だ。
会見6日前の9月6日。東京都府中市にある「森芸術劇場」で高座に立つ談志が「酒落小町」のまくらで「俺、実は食道ガンなんだよ」と告白した。シャレかと思われたもの、その後の高座でも「ガン告白」を繰り返したことで、12日付の新聞各紙が一斉に報道。それを受け、都内の病院で緊急会見が開かれることになったのである。
医師の説明によれば、健康診断で談志の食道に「荒れ」が見つかったのは、7月だった。9月の精密検査では食道に3センチ四方の、初期段階のガンだという。
「死ぬのもいいかなぁ。これから自分の落語はもっと良くなると思ってはいるが、どこかでピリオドは来る。年を取っても美しいなんてウソ。生きてたって、いいことありゃしないよ。森繁(久彌)を見てごらんよ。今、死んだ方がかっこいい」
そう語る談志は勝新太郎のごとくタバコをふかしながら、文字通り報道陣をけむに巻く。すると記者から「タバコ吸って大丈夫なんですか」との声が飛び、同席した医師が「今さらやめても、治るものじゃないですから」。
それを聞いて「ぽっくり死ねませんかね」と尋ねる談志に「即死はありません」と医師が答える、掛け合いけ漫才のような展開に。衝撃的な告白が、高座さながらにドッと沸いたことを憶えている。
食道ガンの手術から10年ほど経った、2008年5月。検査入院で喉頭ガンが見つかり、放射線治療で一時は回復するかに見えたが、2011年に再発。医師からは「声帯摘出」手術を薦められるも、「落語家にとって喉は命」と拒み続けた。だが症状は、悪化の一途を辿るばかりだったのである。
声帯摘出手術を前に、最後の高座に上がった談志。演じたのは、第一回東横落語界で絶賛された名作「蜘蛛駕籠」だ。万雷の拍手の中、高座を降りた談志が眠るように息を引き取ったのは、それから8カ月後の11月21日のことだった。享年75。
40年以上の親交があった石原慎太郎氏(当時、東京都知事)は11月25日の定例会見で、亡くなる数日前に電話を入れた際のことを明かしている。
「秘書に受話器を耳元にもっていってもらい、『おい、談志。お前もそろそろくたばるんだろ、ざまあみろ』って言ったら、言い返そうとして『ハッ、ハッ』ってあえぐ声が聞こえた。無類の話術家と最後に交わした会話。僕の人生の中で極めて印象に残る、会話にならざる会話だった」
そう言って故人を偲んだのだが、その寂しげな表情は、偉大な落語家ではなく、竹馬の友を失った悲しみに満ちていた。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。