日本を代表する歌手・大橋純子が11月9日に亡くなった。70年代にデビューして「シルエット・ロマンス」「たそがれマイ・ラブ」などをヒットさせ、海外でも評価された。後年はシティポップの神的存在だった。
音楽の新たな時流を築き上げたプロデューサーで、六本木のイタリア料理店「キャンティ」のオーナーでもある川添象郎氏が言う。
「かつて、TBSテレビの音楽番組を仕切っていた有名音楽プロデューサー・渡辺正文さんから突然、連絡がありました。大橋純子さんがスペインのマジョルカ島での音楽祭に参加するので手伝ってください、とのことでした」
この第3回マジョルカ音楽祭が開催されたのは、1977年。川添氏が続ける。
「お会いした大橋さんは小柄ながら、素晴らしい声量のあるキラキラした目の歌手でした。 マジョルカ音楽祭に出演する彼女のステージコスチュームへのアドバイスなどをしたのですが、彼女は見事に最優秀歌唱賞を受賞した。その後、東京音楽祭にも参加して特別歌唱賞を受賞した思い出があります」
川添氏が上梓した自伝「象の記憶 日本のポップ音楽で世界に衝撃を与えたプロデューサー」では、その貴重な瞬間が描かれている。音楽プロデューサーの村井邦彦氏と設立したアルファレコード、そこでプロデュースしてきた荒井由実やYMOといった、そうそうたるアーティストたちのことにも触れている。
海外で大人気のシティポップ。当時は主流ではなかったが、爆カッコよかった。それが今、大橋純子という立役者のおかげで海外に伝わっていることは、とても誇らしいものなのである。
(小津うゆ)