まぁ、彼女を芸能人とするかどうかには賛否はあるだろうが、2002年に自伝「私はアニータ」(扶桑社)を出版し、翌03年にはCDも発売。さらに04年10月には、日本でも公開されたチリの映画「ハッスル!」(R-18)で過激な官能シーンを演じた。それが2001年に起きた、青森住宅供給公社の14億円の巨額横領事件で、元経理担当の男に8億円もの現金を貢がせていたチリ人の妻、アニータ・アルバラードだった。
逮捕後の2002年12月、男には懲役14年の判決が下ったのだが、その時点でアニータは母国チリへ。男に貢がせた金で「風と共に去りぬ御殿」(2億6000万円ナリ)と呼ばれる豪邸や、レストラン「カリブの熱狂」を建て、キューバ人の恋人名義で不動産投資会社も経営。さらには「ドナ・ゲイシャ」なるワインを発売するなど、実業家に転身していた。と同時に、冒頭で触れたような芸能活動も始め、まさに日本人夫がくすねた公金で我が世の春を満喫していたのである。
そんなアニータが来日するらしい、との一報が入ったのは、夫の逮捕から5年が経過した2007年1月だった。なんでも、チリのテレビ局「チレビシオン」が彼女に密着し、服役中の夫とのゆかりの地を訪ねるという、地元青森の人が聞いたら怒り心頭間違いなしの、とんでもない企画だったのである。
1月31日、成田空港には彼女の到着を今か今かと待ち受ける、およそ50人の報道陣が集結していた。午後3時、サテライトに現れたアニータは「ナンデ、(報道陣が)ココニイル?」と戸惑いの表情。すぐさま大報道陣による追っかけ取材がスタートすることになる。
この日、舞浜のホテルに宿泊した彼女は翌2月1日、羽田空港から青森空港へ。そして青森刑務所前で、報道陣の囲み取材に通訳を介して、
「アイスルヒトニ、タズネラレルト、(夫が)ヨロコブトオモウ。アイトイウモノデハナイガ、スキデス」
ところがなんと、夫は青森ではなく山形刑務所に服役中であることが判明。そこで「ヤキニクガ、タベタイ」と、行きつけだった焼肉屋に立ち寄ってから、青森市内に宿泊。翌2日に「ヤマガタニ、イク」との言葉を残し、陸路で山形入りした。
ようやく山形刑務所で夫と面会した彼女は、囲み取材で言った。
「リコンハ、シナイ」
そして羽田に降り立った彼女は都内を巡り、成田空港近くのホテルにチェックイン。報道陣御一行を引き連れての弾丸ツアーもこれをもって終了となり、翌3日の13時20分、アニータはチリへ向けて旅立ったのである。
帰国後、彼女の来日を仕切った「真相報道 バンキシャ!」(日本テレビ系)に、出演料と「日本での航空運賃+日本での移動費、および滞在費」支払い疑惑が発覚。日テレが対応に追われる騒ぎに発展するも、残念なことに放送の中で、事件に関する驚くような新事実が「真相報道」されることはなかったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。