歴史の教科書で「魔女狩り」というと、中世ヨーロッパをイメージするかもしれないが、実は1600年代末にはアメリカでも、あまりに無残で大規模な魔女騒動が勃発したことがある。アメリカの黒歴史として、その後の司法制度の在り方そのものに大きな影響を与えたとされる「セイラム魔女裁判」がそれだ。アメリカ史に詳しい専門家が語る。
「セイラム魔女裁判とは、ニューイングランド・マサチューセッツ州セイラム村(現在のダンバース)で1692年3月から始まったものです。200人近い村人が魔女として告発され、うち19人が刑死、2人の乳児を含む5人が獄死しており、1人が拷問中に圧死した。近世の魔女裁判の中でも、極めて有名な事件です」
コトの起こりはこの年の初頭、親に隠れて「降霊会」に参加していた少女2人に突然、異常行動が現れたことにある。医師が2人を診察したものの、原因を特定することができず、結局「悪魔憑き」だと診断された。
彼女たちを拷問すると、ブードゥーの妖術を使ったと告白したのだが、その噂が瞬く間に村中に広がる。降霊会に参加していた他の村人らにも、集団ヒステリーを思わせる異常な症状が広がり、逮捕者が続出する魔女狩り騒動に発展したのである。前出のアメリカ史専門家が言う。
「セイラム村はもともとイギリスでの弾圧から逃げ延びてきた清教徒が1626年に興した村であるため、ネイティブアメリカンとの間で争いが絶えませんでした。そんな中でこの騒動が起こり、疑心暗鬼になった村人たちによる告発が相次いだ。裁判所も告発内容をきちんと精査せず、『霊的な証拠がある』という証言だけで、罪のない村人たちを次々と投獄。有罪を宣告された村人は次々に絞首刑に処せられ、25人もの命が失われることになってしまったのです」
この忌まわしい魔女裁判は1692年2月から翌1693年5月まで続いたが、多くの犠牲者を出したことに加え、たび重なる拷問などで体に傷を負った被害者が続出。いつしかセイラムは死霊や生霊が飛び交う「呪われた村」として、名を馳せることになった。
それから300年以上が経過した現在、町は観光地化され、欧米からも多くの観光客が訪れるようになった。それでも今なお、夜になると救われない魂が霊となって村のあちこちに出没すると言われる。ボストンからは、鉄道でおそよ30分。オカルトファンには必見のスポットとなっている。
(ジョン・ドゥ)