「最近は体調を崩していると聞き、心配していました。縁あって出逢い、今日までの泣き笑い、たくさんの思い出を置いたまま旅だってしまった。こんな別れになるなんて…。おまえのことは、いつまでも忘れはしないよ。ありがとう…感謝」
呼吸不全のため、今年1月11日に65歳の若さで亡くなった、歌手の小金沢昇司さん。小金沢さんが5年間付き人を務めた、師匠である北島三郎が所属事務所を通じて発表したのが、冒頭のコメントだった。
小金沢さんが実家のラーメン屋を飛び出し、通い続けた北島音楽事務所に入ることができたのは、26歳の時だった。付き人や機材運転手などを経て、1988年に念願のデビュー。その後、1992年に出演した「のどスプレー」のCMナレーションで「歌手のコガネザワ君が使っているのは…」と紹介されたことで、顔より先に名前が売れ、晴れてスターの仲間入りを果たした。
そんな彼が入籍と長女誕生をスッパ抜かれ、師匠の北島同席で記者会見を開いた。1993年7月15日のことだ。当時、小金沢さんは34歳。公式プロフィールでは独身と謳ってきのだが、実は前年9月に27歳の女性と入籍し、11月には長女が誕生していたのだ。
「報告が遅れてすみません。決して隠していたわけではないのですが、いつの間にかこういう形になってしまって。歌手としてはまだ幼稚園児なのに…。師匠に打ち明けた時は、叱られるとばかり思いました」
多くの報道陣を前に、緊張でガチガチの小金沢さん。そんな彼に、北島は助け舟を出す。
「34年前の自分のことを思い出したよ。俺もカミさんと子供がいることを事務所に言えなくて、ずっと荷物を背負っていた気分だったよ。今度のことで人気に翳りが出るようでは、歌も本物じゃない。頑張れ」
この言葉を聞いて、2人の強い師弟関係に体育会系のそれを感じたことを記憶している。
しかし2014年、小金沢さんは北島音楽事務所から独立。それをきっかけに、徐々に音楽活動に翳りが見え始め、2020年11月28日には酒を飲んで車を運転したとして、道交法違反の疑いで逮捕された。
2日後の11月30日、留置先の東京湾岸警察署から釈放され、報道陣に頭を下げる際、同行した弁護士から「長く、長く」と促されたことで、「まるで船場吉兆の『ささやき女将』みたい』と言われたものだ。
レコード会社関係者は当時、筆者の取材にこう語っていた。
「コロナ禍の影響で営業がゼロになり、収入が8割減に。それに加え、以前やっていた化粧品事業の失敗で借金を抱え、生活は厳しかったと聞いています。ただ、本人はいつの日にか『紅白で返り咲きたい』という夢に向かって頑張っていましたからね、本当に残念でなりませんよ」
そんな逮捕劇から、わずか3年あまりの訃報だった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。