「安藤は自分から辞めたからいうて、何もくれんかった。クビになればよかったよ…」
こう言ってボヤいてみせたのは、元阪神監督の安藤統男氏である。1982年から3年間、指揮を執ったのだが、実は5年契約。なぜ3年でユニフォームを脱ぐことになったのか。
野球解説者・高橋慶彦氏のYouTubeチャンネル〈よしひこチャンネル〉で、その顛末を明かしたのだが、
「5年契約で、3年間でチーム作れと。あとの2年間で勝負しろと。そこで勝てたら、また次のチームのことを考えてくれ…」
3年間の成績は3位、4位、4位。これで球団は「勝てない」と判断したのだという。安藤氏が憤る。
「3年終わったらね、勝てねえもクソもないだろうと。3年でチーム作れっていうから、その通りやってきたやないかと。池田(親興)とかね、左のマイク(仲田幸司)とか、中西球道(中西清起)とか、あれらも大事にしながら、これは先にいって使うピッチャーだから…」
最終的には球団が西本幸雄総監督、安藤監督の体制を敷こうとしたことから、
「選手は、総監督と監督の話が離れとったら、どっちの話を聞くんやと。そんなややこしいこと、選手にやらせたらいかん。それで辞めたもんね」(安藤氏)
退任後の1985年、阪神は吉田義男監督により、球団史上初の日本一に輝いた。掛布雅之、岡田彰布、ランディ・バースら重量打線は爆発し、前年1勝6敗の中西は、11勝3敗19セーブの活躍で最優秀救援投手に輝いた。これも安藤政権時の3年間におよぶチーム作りの成果だった。なんとも損な役回りを担ったというか…。
(所ひで/ユーチューブライター)