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新日本プロレスVS全日本プロレス<仁義なき50年闘争史>「全日本を平成黄金時代に導いた四天王プロレス」

 新日本プロレスが1992年秋から、天龍源一郎率いるWARとの対抗戦を主軸にして団体の枠を超えた戦いを提供するようになったのに対して、全日本プロレスは三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太(現・建太)の4人がしのぎを削る純血路線で試合内容が果てしなく進化。

 この4人が奏でる戦いは「四天王プロレス」と呼ばれ、誰も踏み込むことができないところまでレベルアップしていた。

 彼らが提供したのはストーリーや言葉に頼らず、反則裁定や両者リングアウトなどの不透明決着を排除した、一話完結・完全決着のプロレス。特に三冠ヘビー級戦はギブアップではなく、ピンフォールで決着するのが暗黙のルールだった。

 当時の日本プロレス界はインディー団体が増えて多団体時代に突入し、マイクアピールや連続ドラマのようなストーリー性でファンを惹きつけることが重視される傾向にあったが、四天王プロレスは「予備知識がなくても、初めて観ても楽しめるように」と、リング上の内容だけで勝負していたのである。

 当時、三沢に他団体との対抗戦について聞くと「確かに戦ってみなけりゃあ、わからない部分がある。でも、今は正直言って、よその団体に戦いたい選手がいないよね。プロレス観が違うからね。別に誰が何を言っても構わないけど、まず自分たちの技術を見てから言えよ。見た目だけで技術のない人間とは戦いたくないから」という答えが返ってきた。それだけ四天王プロレスに自信とプライドを持っていたのだ。

 新日本のリングで天龍がアントニオ猪木をピンフォールした3カ月後の94年3月5日の日本武道館。前年の最強タッグ優勝チームの三沢&小橋とジャイアント馬場&スタン・ハンセンの巨艦砲のスペシャルマッチが行われ、三沢がダイビング・ネックブリーカー・ドロップで馬場をピンフォール。三沢は89年11月の天龍に次ぐ馬場フォールの偉業を達成したのである。

 敗れた馬場は「負けても気持ちのいい試合ができたからよかったよ」と穏やかに語り、三沢に全日本の未来を託した。 そんな三沢を猛追したのが、足利工大附属高校レスリング部で三沢の1年後輩にあたる川田だ。4月の「チャンピオン・カーニバル」でスティーブ・ウイリアムスとの優勝決定戦に勝って初優勝。四天王の中で春の祭典を最初に制覇した。

 その勢いを駆った川田が三沢の三冠王座に挑戦した、6.3日本武道館決戦は35分50秒の死闘になった。試合を決したのは、川田を脳天からキャンバスに突き刺す三沢のタイガー・ドライバー’91 。後年、川田が「明らかに俺の体を壊そうとしていたよね。人間は頭から落っこちたら死ぬんだよ、普通は」と苦笑していたほどの衝撃的な一発だった。

 7月23日の日本武道館で三沢がウイリアムスに陥落すると、全日本の創立25周年記念大会の10.22日本武道館では、川田が6回目の挑戦で三冠王座を初戴冠。デビュー12年にして全日本のトップの座に就いた。

「これで川田、ウイリアムス、三沢、ハンセンの4人がチャンピオンになったからなあ。田上、小橋も燃えるだろうし、この2人を加えた6人の戦いは面白くなるだろう。これだけ実力が接近すると、挑戦者は順番でいかなきゃしょうがなくなるなあ」と、馬場はリング上の充実ぶりにご満悦。

 1月には若手最強決定リーグ戦の「第2回あすなろ杯」で〝21世紀のエース〟秋山準が全勝優勝を果たしており、全日本の前途は洋々と言ってよかった。

 全日本の94年最終戦は12月10日の日本武道館。最強タッグの最終戦が行われ、三沢&小橋が2連覇達成。

 94年の全日本は四天王の切磋琢磨によって、年7回もの日本武道館を超満員にしたのである。

 明けて95年。1月17日午前5時46分52秒。明石海峡を震源とした、マグニチュード7.3の阪神・淡路大震災が発生した。そして、その2日後の19日、大阪府立体育会館において川田VS小橋の三冠戦が行われた。

 当時として戦後最大6000人以上の犠牲者を出した大災害の直後だけに賛否両論があったが「プロレスは人々に勇気と希望、立ち上がろうという力を伝えるものだ」という馬場の信念が大会を強行させた。川田も小橋もそれに応えて60分フルタイムの激闘。それは敗戦ショックの日本人を励ました力道山のプロレスに通じるものがあった。

 派手なアドバルーンはないが、実直なプロレスで平成黄金時代を築いた全日本の四天王プロレス。95年もまた7回の日本武道館興行を満員にした。

 当時、馬場は「こういう言い方は変に取られるのは嫌なんだけれども〝全日本は真面目です!〟の一言に尽きると思う。あいつがどうしたとか‥‥ウチは口でプロレスをやるもんじゃないと思っとるし、すべてはリングの上。〝比べてください〟というのは声を大きくして言いたいなあ」と、胸を張っていたものだ。

小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。

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