Jリーグ開幕時のヴェルディ川崎を指揮し、リーグ戦連覇を成し遂げた松木安太郎氏。その後、セレッソ大阪と東京ヴェルディ1969の監督を務めたが、どちらも結果を出せず、短期間でチームを離れた。そのため、監督としての評価は高いとは言えない。
だが、松木氏がヴェルディ川崎で作り上げたものは、当時としては最先端をいっていたことが明らかになった。
松木氏はYouTubeチャンネル〈おじさんだけど、遊んでもいいですか〉に出演。ヴェルディ川崎でプレーした都並敏史氏、柱谷哲二氏、北澤豪氏と当時を振り返った。
当時のヴェルディ川崎はブラジルスタイルと言われていたが、松木氏は、
「今ではブラジル人とヨーロッパの人が一緒にプレーしてチームを作るのは当たり前になっている。当時はちょっと贅沢だったかもしれないけれど、そこを目指していた」
ブラジルにはこだわっていなかったというのだ。
選手獲得についても、当時としては最先端の手法を取り入れていた。
「安く獲得できる外国人選手を探すため、南アフリカの選手を2人テスト生で呼んだことがある。その1人がマーク・フィッシュというW杯南アフリカ大会の時の南アフリカのキャプテン。彼が17歳の時にヴェルディに来たんだよ。800万円から1000万円で買えるから、いい選手になったら売ろうと考えていた」
今でこそ若い外国人選手を安く獲得して、海外に高く売ることをどのチームもやっているが、当時としては画期的な考え方。それを松木氏はすでにやろうとしていたのだ。
練習生だったフィッシュの獲得を首脳陣に訴えた松木氏だったが、必要ないと判断され、獲得は見送られた。松木氏は悔しさをにじませながら、
「急ぎすぎたのかも」
監督としての評価とは違い、ゼネラルマネージャーとしては有能だったのかもしれない。当時はGMという役職が浸透していなかったのだが、その仕事がどんなものか知られていれば、松木氏の手腕は高く評価され、「名将」と呼ばれていたはずだ。
(鈴木誠)