前回の中編で指摘したように、「はしか」に罹ったことがある人は生涯、はしかを発症することはない。同様に、はしかのワクチン接種を適切に受けていれば、発症のリスクを大幅に低減することができる。
これはヒトに備わっている免疫システムのうち、「獲得免疫」と呼ばれている防御機能が働くためで、麻疹ウイルスに感染したとしても、発症には至らないのだ。
ところが、である。こと麻疹ウイルスに限っては、この獲得免疫による防御機能がアダとなるケースが、専門家の間で指摘されているのだ。
例えば、アメリカのハーバード大学の研究者らが2018年に発表した学術論文を見てみよう。はしかに罹患したオランダの子供77人に対して、これまでに獲得した様々な病原体に対する抗体を分析したところ、はしかへの罹患後、11%~73%にも上る抗体が跡形もなく消え去っていた、という驚くべき事実が報告されている。要するに、麻疹ウイルスは獲得免疫の記憶細胞を死滅させ、免疫記憶を消失させてしまうことが明らかになったのだ。
獲得免疫の記憶細胞は様々な病原体の特徴を記憶し、再び侵入してきた病原体を死滅させる役割を担っている。ところが獲得免疫の記憶細胞が麻疹ウイルスに感染すると、麻疹ウイルスを認識する記憶細胞に次々と置き換えられてしまう。その結果、麻疹ウイルスに対する獲得免疫は強力に確立、維持されることになるが、麻疹ウイルス以外の様々な病原体に対する獲得免疫は、大きく減衰してしまうのである。
免疫学の専門家も、次のように指摘する。
「麻疹ウイルスの場合、免疫記憶の消失ははしかに罹った場合だけでなく、はしかのワクチン接種を受けた場合にも起こります。記憶の消失状態は数カ月から数年にわたって続き、やがて獲得免疫は元の状態に戻っていくとされますが、問題は消失状態の時に別の感染症にかかるリスクに晒される点です。WHO(世界保健機関)も『はしかのパンデミック(世界的大流行)が発生すれば、季節性インフルエンザや新型コロナ感染症をはじめ、様々な病原体による病気が蔓延する危険性がある』との懸念を表明しています」
はしかのワクチン接種が広がれば広がるほど、はしか以外の感染症が蔓延するリスクは高まっていく。まさに「はしかのパラドックス」とでも称すべき真実だ。(おわり)
(石森巌)