高倉健の没後、テレビでは追悼放映が相次ぐ。映画賞を独占した「幸福の黄色いハンカチ」や遺作の「あなたへ」がラインナップされたが、残念なことに現在の地上波で任侠映画を観ることは不可能に近い。あの日、劇場に「健さん!」の声がこだましたのは、まぎれもなく任侠の傑作群ではなかったか──。
高倉健(享年83)、菅原文太(享年81)と続いた訃報に、同じ時代を生きた松方弘樹は、虚空を見つめながら語った。
「健さんは僕が東映に入った時から憧れの存在だったけど、文ちゃんは手が届きそうで追いつけない先輩という感じだったね」
本コラムは高倉健に主題を置く連載であるが、松方と文太の関係も重要な意味を持つので、しばらく続けてみたい。
さて文太が新東宝、松竹を経て東映に移籍したのは67年のこと。年齢は9歳下でも、東映でのキャリアは松方のほうが先だが──、
「安藤昇さんや俊藤浩滋さんの後押しもあって、役どころは僕の上をポーンといっちゃった。そりゃあムッとしますよ。ところが京都の街で撮影をし、一緒に飲んで不良もやっていくうち、菅原文太の人間的な奥行きに魅せられていった」
文太にとっても松方にとっても、飛躍の作品となったのが「仁義なき戦い」(73年、東映)である。松方はシリーズ5作のうち3作に出演して、いずれも違う役を演じた。松方の演じ分けは鬼気迫るものがあり、全作の主演である文太と拮抗する。
「何としても菅原文太を食ってやろうという気持ちでやっていたね。僕ががんばれば作品も良くなるって自負があったから。それに文ちゃんが『ここに弘樹が出てきたらおかしい』と言ったら別の役で3回も出ることはなかったけど、そこが度量の広さですよ」
前置きが長くなったが、文太も松方も「実録路線」のエースとなる前は、高倉や鶴田浩二の「任侠映画」にも数多く出演している。松方が高倉と初共演したのは、屈指の人気シリーズとなった「昭和残侠伝」(65年、東映)の第1作だ。まだ23歳の若さで演じた「ジープの政」は、高倉演じる寺島清次の弟分である。
「僕も佐伯清監督にいい役をもらいましたが、健さんもこの時で35歳。大スターへの足がかりをつかんだ映画でしたね」
東映には常に二大帝王の時代がある。時代劇全盛時は片岡千恵蔵と市川右太衛門が火花を散らし、任侠映画が華やかりし頃は鶴田と高倉の派閥に二分された。松方は「鶴田のおっさん」にかわいがられたというが、高倉にも思いがけないチャンスをもらっている。
「鶴田のおっさんや錦兄イ(中村錦之助)は何行のセリフでも大丈夫。ところが健さんや千葉真一さんは長いセリフが苦手。だから『昭和残侠伝』でも、健さんが僕を呼んで『ここからここ、ヒロちゃんがしゃべってくれる?』と耳打ちしてくるんですよ」
まだ若い松方は「監督に怒られます」と固辞するが、高倉が直接、監督の了解を得たことでセリフの振り分けが可能になった。役柄が同じ組の兄弟分であったため、松方が長セリフをしゃべり、兄貴分の高倉が「うん、そうだ」と言えば場面としても成立する。
「僕にとってはセリフが増えるわけですから、これはありがたいことでしたよ」
任侠ブームが去り、高倉が東映を退社後、意外な形で「ひさびさの共演」を飾ることになる──。