現在、西武ライオンズの指揮を執る松井稼頭央監督は、元日本人メジャーリーガーのひとりだが、彼ほど天国と地獄を味わった人物はいない。
2003年12月10日にメッツと3年2010万ドル+出来高で契約。背番号「7」を希望したが、他の選手が使用していたため「足して7になる」との理由で背番号「25」を選んだ。
入団時はまさに大フィーバーだった。松井がジョン・F・ケネディ空港に降り立った際には、マスコミが殺到。球団はリムジンを用意し、松井は大勢の警官にガードされながら乗り込むと、その車をパトカーがホテルまで先導する。まさにスーパースター扱いだった。
ブレーブスとの開幕戦の初回、1番打者として打席に立った松井は、大偉業を達成している。前年に21勝を挙げたラス・オルティスの初球を打つと、センターのフェンスを越える本塁打になったのだ。メジャー史上初となる、新人の開幕戦初打席初球本塁打。その後も2本の二塁打を放ち、第5打席には敬遠まで体験した。「カズオ・マツイ」「リトル・マツイ」の名は、わずか1試合で全米の野球ファンに知れ渡った。
メッツファンはこの快挙に大熱狂したが、地獄に突き落とされるまでには2カ月とかからなかった。チャンスの場面ではことごとく三振を喫したが、過激で知られるニューヨーカーたちがやり玉に挙げたのは、その守備である。日本では名手として知られ、日本人初の内野手出身メジャーリーガーだったが、天然芝が多いメジャーのグラウンドになじめず、失点につながるエラーを連発。シーズン失策数は23に達した。
世界一熱狂的といわれるメッツファンによるブーイングは、日に日に激しさを増していった。筋金入りのメッツファンであるドナルド・トランプ氏も出演したテレビ番組で「今最もクビにしたいのはマツイだ」と言い放ったという。松井自身も当時を、
「観客が5万人なら、4万9990人はブーイングをしていました」
と振り返っている。
この頃、松井は信じられないような屈辱を受けている。失策の原因を視力の悪さと決めつけたコーチにより、半ば強制的に眼鏡をかけさせられたのだ。
合計7年間プレーしてメジャー通算615安打を記録したが、浮き沈みの激しいアメリカ生活だった。
(阿部勝彦)