現在は日本ハムのフロントにいる木田優夫GM代行は、かつて日本人メジャーリーガーとして、アメリカで信じられないような不運に見舞われている。
ドラフト1位で巨人に入団した木田はオリックスを経て、メジャー十数球団からオファーを受ける中、1998年11月23日にデトロイト・タイガースと2年300万ドルで契約。日本人8人目のメジャーリーガーとなった。
タイガースの入団会見には羽織はかま姿で登場し、
「ロボコップに会えなくて残念(映画の舞台が本拠地デトロイト)」
とジョークを飛ばして報道陣の笑いを誘ったことで一躍、地元で有名になった。
リリーフとして起用され、4月5日のレンジャーズ戦でメジャーデビューを果たすと、5月に初セーブ、6月には初勝利を挙げたが、7月には脇腹を痛めて故障者リスト(IL)入り。約1カ月で復帰したものの、思ったような投球ができずに、1勝0敗1セーブ4ホールド、防御率6.26で1年目を終えることになった。
翌2000年、2試合目の登板となった5月17日のインディアンス(現ガーディアンズ)戦を最後に、3Aトレドに降格。6月9日に契約を解除されている。
その後はオリックスに復帰したが、在籍2年間で安定した投球ができず、2001年オフに自由契約になった。
2002年は無所属となったが、2003年に34歳で再び渡米を決意。ドジャースとマイナー契約を結んだが、ここで不運に見舞われる。
3月1日深夜に自動車事故に遭遇。同乗していたドジャースの塩川哲平通訳が一時、重体となる大事故であり、木田本人も足の骨折で全治6週間と診断される重傷だった。
8月にはメジャー昇格したが、登板はわずか2試合のみ。翌年9月にマリナーズに移籍し、サイドスローに転向。メジャー登板は1試合のみで、2005年に再び自由契約となった。
日本に戻った木田はヤクルトに入団し、2006年には球宴に出場。ここで4年間、日本ハムで3年間を過ごした後、BCリーグの石川ミリオンスターズに在籍し、2014年に現役引退している。
なんとも波瀾万丈の日本人メジャーリーガーだった。
(阿部勝彦)