その昔、日本には「むやみやらたに落ちている石を拾って、家に持ち帰ってはいけない」という言い伝えがあった。その理由は「石が持つ呪いが降りかかるから」。
日本各地には、石にまつわる不思議な伝説が多い。例えば、静岡県掛川市の小夜の中山峠にある「夜泣き石」。江戸時代には城主の墓所で「触れば即死し、指を差しただけで悪心あるいは吐血する」という広島県三次市三次町の「たたり石」も。さらには大分県直入郡都野村にある「女郎岩」は平家滅亡時、この村に逃れてきた女郎が捕らえられ、責め殺された怨みが石になった、と。どれも不思議な話である。
世界に目を転じても同様だが、その形からして謎に満ちているのが、1872年にアメリカのニューハンプシャー州中部ウィニペソーキー湖畔で見つかった「ミステリー・ストーン」ではないだろうか。世界のオーパーツ(発見された場所には存在しえない出土品や工芸品)研究家が解説する。
「この石は湖畔の周りで柵の設置工事をしていた作業員が、土中の穴から発見したもの。高さ10センチ、直径6センチの卵型でした。石質は珪岩で、表面には人の顔やテント、トウモロコシなど、9つの彫刻のほか、絵文字のような記号が彫られ、頭頂部の中心の穴が下部まで貫いています。ニューハンプシャー州に入植者がやってきたのは1623年のことですから、この石がそれ以前に作られたものだとしたら、当時すでにこの地域には、非常に精密で高度な技術を持った先住民族が生活していたということになる。いっさい文献が残っていないことから、これが事実なら歴史的大発見ということになります」
この石は労働者の雇い主である会社社長が所有。しかし1927年の社長の死後、遺族によってニューハンプシャー歴史協会に寄贈された。
その後、歴史協会が運営するニューハンプシャー歴史博物館に展示されることになったが、歴史協会が1931年に、この石が「サンダー・ストーン」である可能性を示唆したことで、欧米のオーパーツ研究家の間で、さらなる話題を呼んでいる。
「サンダー・ストーンというのは被雷水晶と呼ばれる、落雷の痕跡を留めた水晶のことで、世界各地で伝説として登場するものです。アメリカ先住民の間では昔から、神の贈り物といわれてきた。サンダー・ストーンとなれば、その神秘的価値はさらに高くなるでしょう」(前出・オーパーツ研究家)
現在もニューハンプシャー歴史協会は、この不思議な石について様々な分析調査を行っている。どの時代に、どんな方法で彫刻がほどこされたのか。その名の通り「ミステリー・ストーン」なのである。
(ジョン・ドゥ)