その大問題発言により、全日本スキー連盟(SAJ)が、オリンピック競技への本人参加辞退を示唆。母校の東海大学監督が急遽バンクーバーへ謝罪に出向く騒動に発展したのが、五輪スノーボード・ハーフパイプ日本代表、國母和宏をめぐる一連の騒動だった。
コトの起こりは2010年2月9日。バンクーバーへと出発するため成田空港に現れた國母は、ドレッドヘアでサングラスに鼻ピアス、日本選手団公式ユニフォームは着用するも、腰ばきのパンツでシャツの裾を出し、ネクタイはユルユル。
「結果よりも内容。(滑りを見て)格好いいと思ってもらえればいい。最近のスノーボードはすげぇダセえから」
との言葉を残して、機上の人に。この映像の放送直後から、日本オリンピック委員会(JOC)とSAJには猛烈な抗議が殺到することになったのである。
北海道石狩市で生まれ育った國母は、4歳で父親の手製スノーボードに乗り、小学校在校中の11歳の時、史上最年少でプロ試験に合格。12歳でプロ契約したという超逸材だった。高校時代にはスノボ三大国際大会のひとつ「FISワールドカップ サースフェー」で見事に優勝するなど、その才能をいかんなく発揮し「スノーボード界に國母あり」と称されるようになった。
だが、若くして名声を得たことで、その言動が問題視されていたことは事実で、
「ミーティング中はふんぞり返ったままで、コーチに対しても敬語は使わず、タメ口。トリノ五輪日本代表の成田童夢は、自分が3歳年上にもかからず『おめぇ、うぜーよ』という暴言を吐かれたと、メディアの取材に告白していました。海外でも有名なスター選手ではありますが、周りの大人たちがその傍若無人な言動を注意できなかったことが問題ですね」(スポーツ紙運動部記者)
空港の映像で大ブーイングを受けたJOCは、日本代表選手団の橋本聖子団長を通じて監督ほか関係者に厳重注意を促し、國母の「選手村入村式」欠席を決定。
ところが翌2月10日、ハーフパイプ陣による記者会見に臨んだ國母は悪びれることなく、持論を展開した。
「自分にとって五輪はスノーボードの一部で、特別なものではないので。自分の滑りをすることしか考えていません」
報道陣から「(服装の乱れについて)指摘されたことはある程度、受け入れたということですか」との質問が飛ぶと、肩肘を突いたままイラついた表情で舌打ちすると、
「チッ、うっせ~な!」
慌てた監督が反省を促したものの「えっ?」と聞き返し「反省してま~す」と、報道陣をおちょくるように言い放つ始末。案の定、会見終了後にはJOCに500件を超える抗議が届き、火に油を注ぐ事態になった。
ただ、橋本団長の「競技をしないで帰国することは逆に無責任になる」との判断で、開会式こそ欠席したものの、競技には参加。果敢にパイプを攻め続けた國母は8位で五輪を終えた。
試合後「騒動の影響は?」との質問には、
「あったらやっていない」
善し悪しはともかく、最後まで一貫して自身のスタイルを貫いた「腰パン暴言男」だったのである。
(山川敦司)