日本を代表する映画人・山田洋次監督が、寅さんシリーズの50作目にあたる新作「男はつらいよ お帰り 寅さん」公開に先立ち、東京・丸の内にある日本外国特派員協会で記者会見に臨んだのは、2019年10月3日だった。外国人記者からの質問に答えた山田監督は、感慨深げに振り返った。
「この映画を作るために、50年の歳月が必要だった。渥美清さんが亡くなって20年以上も経つんですけど、渥美さんがもし今生きていてこの映画を見たら『俺、びっくりしたよ』と言うでしょうね。長生きしたからこういう映画ができたというのが、今の感想です」
映画は渥美清演じる車寅次郎をCGで再現し、甥の満男(吉岡秀隆)が「寅さんとの思い出」を回想する形で物語が進んでいく。ところがこれに対し、「週刊ポスト」誌上で「自分のアイデアを山田監督に無断使用された」と怒り心頭で異議を唱えたのが、世界的アーティストで山田監督とは旧知の仲だという横尾忠則氏だった。
記事によれば、2人は毎週のように蕎麦屋で顔を合わせる間柄で、「渥美さんなしに寅さんは撮れない」と悩む山田監督に、横尾氏が「過去49本の寅さんの映画から抜粋、引用してコラージュすればいい」と提案したというのだが、横尾氏は同誌にこう語っている。
〈瞬間、山田さんは一言も発しなかったけれども、相当刺激を受けたようでした。次に『じゃあ、寅さんの過去作品を全部観てくれますか』と仰るから、ワクワクしましたよ。ギャラとか名誉とかではなく、僕にとって長年、映画製作は飽くなき興味の対象ですからね。だから『作品を作るなら、関わらせてください』と申し上げたんですけど、その一言には山田さんは無反応のままでした〉
1週間ほど経った後も同じ話題になったが、
〈昔の寅さん映画を観たいと言っても、山田さんは無言のまま何にも仰らない。それっきり山田さんからはその件では連絡もなかった〉
製作発表会見で新作の始動を知ることになった横尾氏は、
〈どこかで山田さんから「あのアイディア、とてもいけると思いましたから使わせてください」と挨拶があるはず、と期待していました。だって彼は映画人で、僕も美術家だもの。アーティスト同士、尊敬やマナーがあって当然でしょう?〉
しかしその後も2人の間にできた溝は埋まらず、横尾氏が言うには、そんな気持ちが週刊誌での告白に繋がったという。
同誌の取材に対し、山田監督に代わって松竹映画宣伝部が苦しい弁明を展開。
〈新作の発想が横尾さんから出ていることはもちろんですが、横尾さんがイメージされたような実験的な映画ではなくなってしまったので、横尾さんのお名前を出すのは失礼だと監督は思っていた〉
1990年代には大島渚監督と作家の野坂昭如氏が、殴り合いの大ゲンカをした後、以前にも増して仲が良くなったという逸話があるが、はたして寅さんがいたら、現代美術の巨匠と日本映画の重鎮とのいざこざをどう収めたのか。ふとそんな思いが脳裏をよぎったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。