以前、この記者会見連載で、今年1月に死去した日本ボクシング連盟の山根明元会長を取り上げた。あの騒動の3年前、大阪市内のホテルで山根氏と並んで引退記者会見に臨んだのが、お笑いコンビ「南海キャンディーズ」のしずちゃんこと山崎静代だった。
彼女は2008年にNHKドラマ「乙女のパンチ」でボクサー役を演じたことをきっかけに2011年、ボクシングデビュー。2012年のロンドン五輪への出場が期待されたが予選で敗退し、惜しくも夢を実現することはできなかった。
だが当時、ほどんど脚光を浴びることがなかった女子ボクシングの競技普及に貢献したとして、日本アマチュアボクシング連盟は彼女に特別表彰を授与。本人も「次の目標を考えたい」と、現役続行を表明していたものの、2015年10月19日、通算11戦で7勝4敗という戦績を残し、引退発表会見を行ったというわけである。
神妙な面持ちで山根会長の隣に座ったしずちゃんは、ここに至るまでの経緯を説明。
「2014年11月の世界選手権に出て、世界との壁を感じた。ちょっと通用しないんだなと。今年4月くらいからは体調を崩し始めて、練習しても吐き気や過呼吸が起きたり。体がついていかなくなりました」
と同時に、複雑な女心をのぞかせる。
「やっぱり先輩の女芸人さんが結婚したり、出産をされたりしてるのを見て、本当に…赤ちゃんを見たりしていいなと思ったりして。おなかっていうのは殴られるんじゃなく、命を宿すものなのかと。ちょっとそういうことに気付いたりもして、いい人いたらいいなと思っています。はい」
2013年に死去した専属トレーナー・梅津正彦氏との強い絆で結ばれた師弟関係はよく知られる話だが、山根会長は、
「当時は山崎くんをなんかの番組で見た時に、アマチュアボクシングいう表現を使った。で、何をぬかすんでぇと。アマチュアボクシングをナメるんじゃない、と。でも1対1で3時間ほど話をした後、非常に誤解をしとったと。アマチュアボクシングをいかに愛して、ボクシングを好きでやってる人間であったことを聞いて、罵倒して申し訳なかったなと。これからもアマチュアボクシングのために頑張ってくれと言いました」
そんな縁もあり、梅津氏の死去後、彼女を全面的にバックアップしてきたのだという。在阪スポーツ紙記者の話。
「彼女は大阪に来るたび山根氏を訪ね、食事をしたり、2人でカラオケに行って1、2時間ほど一緒に歌うこともありました。だからこそ、例の騒動の時も一切コメントしなかった。義理堅さは男以上だということです」
そんな山根氏の死去で、彼女の胸に去来したものは何だったのか。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。