─しかし、書評だけの本というのは果たして需要があるのか?
博士 もちろん書評集は数あるし、タレント本だけというのは吉田豪ちゃんとかの先駆者がいるけど、書いてるのがタレント本人というのは俺だけかも。正直、売れるとも思ってないし。印税が欲しいわけじゃないの。本として形が残り、時代を超えて読み継がれたいだけ。
─書評を書くに当たって心がけていることは?
博士 この本の後半は文庫の解説も多いけど、俺は本屋さんで文庫の解説を立ち読みする派なのね。解説でその文庫を買うかどうかの判定をする。解説って立ち読みで読み終える分量でしょ? だから巻末を読み終えた時に「この本買う!」とレジに向かわせる解説を書くのが流儀なの。
─「本業2024」で書評を読んで「買いたい」と思っても、紹介された本が絶版になっていたりする場合もあるでしょう。
博士 山城新伍さんの「おこりんぼ さびしんぼ」(幻冬舎)は俺が各所で好きだと言い続けて、絶版だったのが文庫で復刻したの。そういうことは稀に起きる。本の寿命ってハードカバーで生まれて、経年して、文庫が最終形態になる。その後、古本市場でも流通するけど、文庫が本の寿命だと思っている。でも息を吹き返すこともあるの。著者が死んだとしても本は生き続けるから。世に生まれてきた本を一緒に愛めでて育てる書店員さんも読者も同胞なの。というか、この本で「本屋大賞」とか俺にくれないかな(笑)。
─随所に「本愛」「ブックファースト」を感じる。
博士 俺は「都民ファースト」じゃないの。排除しないから。それと、この本が生まれたのも奇跡。参院議員を辞職してから、休業して、復帰してしばらく無職だったから、毎日3時間、YouTubeを配信していたの。「本業2024」の元になってる「本業」(ロッキング・オン、05年出版)を1編ずつ朗読してたの。
1つの章が短いからちょうどよかった。しかも時流に乗った読み捨て上等のタレント本も、時を経てタレントも本もそれぞれ、味わい深く発酵しているのよ。それを見たフリーの編集者の方が「これは面白い!」って持ち込んだのが阿蘇品さんのところ。で、偶然にも青志社っていうのが、俺の所属事務所のTAPと同じビルの上下階だったの。この本ができる過程もそんな偶然の連続で、それが〝星座〟だと思えるの。
今年の元日、下血が続いて救急車でERに運ばれ、死にかけたことをきっかけに、この本は書き始めたの。だから、これから俺が書くものはすべて「遺書」だと思って書くことにしてる。
─アサ芸と浅草キッドの関わり合いはすでに31年を経過し、これも言わば〝星座〟。アサヒ芸能人読者は博士の「世界一分厚い遺書」を読むしかないでしょう。