1月下旬にステージ4の下咽頭ガンを公表したタレントの見栄晴(57)。その後は治療に専念し、4月20日にはメインMCを務める「競馬予想TV!」(フジテレビONE)で復帰を果たしたが「大病をしたことで、競馬に対する意識も変わった」という。一体何が変わったのか。
─東京競馬場がある府中市のご出身です。
「競馬場まで歩いて10分くらいのところで育ちました。当時はまだ美浦トレセンができる前で、調教師さんや騎手の方も近所に住んでいて、僕は横山典弘騎手(56)の兄貴で、今は競馬学校で教官をやっている横山賀一(57)=元騎手=と同級生でした。 あと、焼き肉のたれのモランボンの本社が市内にあって、グループ会社の社長さんの持ち馬が勝ったら直営の焼き肉屋さんが安くなるんです。スーパーはセールだし、駅前のパチンコ店も釘を開けてくれるなど、とにかく街中がお祭り騒ぎになる。府中一帯が大きな競馬のコミュニティなんですよ」
─競馬好きになるのも当然、という環境ですね。
「親父も相当好きで。僕が8つの時に急に亡くなったんですが『スーツのポケットから当たり馬券が出てきて葬儀代の足しになった』と後でおふくろに聞きました。本命党だから大した額ではなかったらしいですけど。ただ僕は、穴党の母の血が強く出たみたいで、あんまり勝てない(苦笑)。競馬が好きなのも血統なんでしょうね。小学生の頃から馬柱を見るために東スポを買っていて、おふくろに『ヘンタイ!』ってよく怒られていました。ほら、中にエッチなページもあるから(笑)」
─初めて馬券を当てた時のことを覚えていますか?
「10代で『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日系)に出て、間近で〝ニャンニャン事件〟(同番組出演者だった当時15歳の高部知子の喫煙)のスクープを目の当たりにしていたこともあるし、『絶対にスキャンダルだけは起こせない』と思っていたんです。だから、馬券を買ったのは本当に20歳になってからなんです。大人になった感慨はあったけど、それまでも新聞を見ながら予想だけはしていたんで、初当たりそのものは、あんまり印象に残ってないですね。
強いて言うなら、76年の有馬記念。おふくろが有馬だけは僕の予想を聞いて、その馬券を買っていたんです。2年連続でテンポイントとトウショウボーイのマッチレースでしたけど、その最初の年でした。枠連(当時の名称は連勝複式)で7-8(730円)だったのを覚えています」
─競馬が仕事になり始めたのは?
「最初は30歳手前で、東京と中山の場内で流れるFM放送のパーソナリティがきっかけでした。その放送が好きで競馬場まで聴きに来てくれていたのが『競馬予想TV!』を立ち上げた今のフジ・メディアHD社長の金光修さんと制作会社の社長さん。
そんな縁もあって番組が始まり、もう26年です。当時はまだ、競馬にも博打のイメージがかなり残っていたし、他に任せられるタレントがいなかったんでしょうね。僕はもう『ギャンブル大好き!』って公言していましたから(笑)」
─そこからは、より競馬にのめり込んだ?
「そうですね。これまで相当な授業料を払ってきました(笑)」