世界で活躍するモデルの冨永愛が6月30日、都内でエッセー「冨永愛 新・幸福論 生きたいように生きる」の発売記念トークショーを行った。「100歳になってもランウエーを歩ける私でいたい」という冨永は「幸せ」について触れると、
「何はともあれ、今の自分が幸せでいることがいちばん大事。過去に何があったにせよ、今が幸せならいい。今の積み重ねが過去になり、未来になる」
そう言って、紆余曲折あった自身の半生を振り返ったのである。
外見の華やかさとは裏腹に、彼女の半生は波乱に満ちており、2014年に出版した自伝「Ai 愛なんて 大っ嫌い」には、奔放な母親に翻弄された幼少期を経て、思春期には高身長が原因でイジメにあい、荒れた反抗期の中でモデルへの道を見つけたという告白が。2004年10月にはパリ在住の日本人パティシエと「できちゃった婚」するも、2009年4月に離婚。その時々の気持ちが赤裸々に綴られていた。
そんな彼女と「戦隊ヒーロー俳優」として人気上昇中だった塩谷瞬との手つなぎデート写真が「FRIDAY」に掲載された。2012年4月20日のことである。冨永はコメンテーターを務める同日放送の「知りたがり!」(フジテレビ系)で交際を認め、塩谷も翌21日、自身のブログで冨永を「最高の人」と表現した。これが美男美女カップルの誕生として、メデタシメデタシとなるはず…だった。
ところが3日後の4月23日。冨永が突如、自身のブログで前言を翻す。
〈報道されているような熱愛という時期はありません〉
いったいどうしたのかと思っていると、塩谷もブログの記述を削除した。急転直下の展開に芸能マスコミが右往左往する中、発覚したのが塩谷と料理研究家・園山真希絵との交際だったのである。つまり塩谷は、2人と同時に交際していたというのだ。翌日の「知りたがり!」に出演した冨永は、
「彼がしたことは事実です。2人同時に結婚の話をするのは、人として許されない」
園山とは知り合いで、すぐに連絡をとったことも報告。この騒動を受けて5月1日に舞台稽古場で記者会見に臨んだ塩谷は、第一報が報じられた日に2人と別々に会って謝罪したというが、「どちらと結婚するつもりだったのか」との質問には、
「2人に惹かれていたのは事実で、最初はプロポースという形ではなかったんですけど、実際は本当にボクの中でも悩んでいて…」
マイクを前に涙ぐみながら、煮え切らない説明に終始。翌日の各スポーツ紙では「とんだ二股男」と揶揄され、この話題を報じた日本テレビ系ワイドショーでは、テリー伊藤に一刀両断されている。
「ホストっぽいね、戦略としては。なんで泣けるの。なんかバカだね。彼が人間として本質的にダメなのは、常に人脈が欲しい。園山さんとだって結婚する気がない。結婚詐欺師と一緒。本当にうさんくさい男。ろくでもない。反論があったら来い!」
正義の味方である戦隊ヒーローのイメージが脆くも崩れ去った、芸能史上に残る情けない記者会見となってしまったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。