「皆さまに大変ご迷惑をおかけし、日本相撲協会にもご迷惑をかけ、報道でも大変騒がせ、最後はけじめをつけるのは僕しかいないので、引退を決意しました」
2010年2月4日、師匠の高砂親方とともに、日本相撲協会の理事会に出席。事情聴取を受けた後、世間を騒がせた責任を取る形で引退届を提出し、その足で記者会見に臨んだのは、横綱・朝青龍だった。
朝青龍は初場所中の1月、泥酔して一般男性に暴力を振るい、ケガを負わせた疑いで、その処分が注目されていた。横綱審議委員会は「示談の成立は当事者間の和解に過ぎない。横綱に対する国民の期待に背いた責任を免れるものではない」として引退勧告書を突き付けると、武蔵川理事長も「現役続行を認めない」との意向を表明。現役引退を余儀なくされることになった。
朝青龍は1997年に来日。高知県の明徳義塾高校を経て、1999年に若松部屋に入門すると、序二段と幕下で優勝する。2000年の秋場所で新十両、2001年の初場所では新入幕を果たし、翌2002年7月にモンゴル人初の大関に昇進、九州場所で初優勝した。以降の快進撃は説明する必要がないだろう。
その一方で、問題発言や過激な言動は枚挙にいとまがなく、土俵内でのガッツポーズに始まり、度を超えた睨み合い、禁じ手のヒザ蹴りなどが問題視されることがしばしば。
土俵の外でも大暴れだ。旭鷲山のマゲをつかんで反則負けすると、風呂場で口論になり、旭鷲山の車のサイドミラーを破壊。あるいは腰の疲労骨折を理由に夏巡業を休場しながら、モンゴルでサッカーに興じていたしていたことがバレて、2場所出場停止処分を受け、おまけにその年には1億円の申告漏れが発覚するなど、トラブルメーカーとして名を轟かせることに。
そんな朝青龍の歴史に残る「大問題発言」は2002年秋場所、横綱・貴乃花戦後のインタビューで発した言葉だった。
この時、朝青龍はまだ若手力士で、2人の対決は2度目。前回は朝青龍の強烈な張り手を受け、口の中を5針縫う傷を負うも、貴乃花が寄り切って横綱の貫禄を見せた。
そして2回目の勝負。右ヒザを痛めていた貴乃花は猛攻に耐え続け、上手投げで朝青龍を土俵に叩きつけると、見事に白星をつかんだ。
これに怒りを抑えられなかったのだろう。花道を引き上げる朝青龍は「チクショウ!」と大声で叫び、こともあろうにその後のインタビューで、こう言い放ったのである。
「横綱のケガしてる方の足を蹴ればよかった」
全国の相撲ファンから、またもやヒンシュクを買うことになったのである。相撲協会関係者は、吐き捨てるようにこう語っている。
「かつてロス五輪の柔道決勝で、山下泰裕と対戦したラシュワン(エジプト)が、ケガを負った山下の足を攻めず、ユネスコのフェアプレー賞を受賞したことがありますね。本来、真剣勝負であれば相手の弱点を狙うのは当然で、卑怯でも何でもない。ただ、それをあえて口に出すかどうかが問題だということです。朝青龍の場合、その根本的な部分を最後の最後まで学習できなかった。彼がトラブルを呼び込む最大の原因は、そこにあったように思いますね」
プロレスならばまだよかったが、心技体が求められる国技の世界で、そのハミ出しすぎた性格が受け入れられることはなかったのである。
(山川敦司)