しかし22年11月、明菜にとって重大な〝事件〟が起こる。救いの神とも言える寺林氏が肺炎のため死去したのである。
「10年に音楽活動の無期限休止を発表して以降、一時的な復帰はあったものの活動休止状態でした。ただ22年は、デビュー40周年を記念したベスト・アルバムが年末に発売されることが決まっていた。もし寺林さんが生きていたら、紅白で復帰して話題になっていたでしょうね」(田中氏)
明菜が初めて紅白の舞台で歌声を披露したのは、デビュー翌年の「禁区」(83年)。それから88年まで6年連続で出場し、14年ぶりとなった02年に「飾りじゃないのよ涙は」を、14年にはニューヨークのスタジオから生出演した。ただ、会場とのやり取りはなく、一方的に新曲「Rojo―Tierra―」を熱唱して終わった。
「ハッキリ言ってインパクトに欠けましたね。だから今年こそ、という思いはあると思う。しかし紅白出場を決めてしまっても大丈夫なのか。失敗したら誰が責任を取るのか、という不安がNHKサイドにもあるでしょう。もし今年の紅白で輝きを取り戻すことができれば、来年はメディアでも活躍できるかもしれませんね」(石川氏)
しかし田中氏は、今のままでは〝完全復活〟は難しいとみている。
「NHKサイドにしてみたら、何とか紅白に出てほしい貴重なアーティスト。明菜サイドも再始動するには最もふさわしい舞台だと考えていると思います。しかし彼女は、今のパフォーマンスで本当に大丈夫なのか迷っているはず。というのも今回、ファンの前で生歌を披露したといっても、ジャズ風にアレンジしたものです。あえて言えば、最も安易なアレンジを選択したな、明菜らしくないな、と思います」
ファンは〝大胆な明菜〟を見せてくれることを期待しているというわけだ。
「ジャズバージョンはまだ序章にすぎません。絢爛豪華な音楽で復活すべきです。ウィスパーボイスじゃなくて、出ない声をもう一度出してみる。そうしたチャレンジをしてほしいですね」(田中氏)
今年の紅白がシン歌姫伝説の幕開けになることを期待したい。