玉袋 そうだね、今回でね。
吉田 連載32年。
博士 終わるという前提がまるでなかった。32年(92年12月スタート)もやってたから、当たり前に続くのが日常だったからね。
玉袋 歴代のアサヒ芸能の中ではかなりの長期連載だったと思うよ。小島功さんの「仙人部落」の次に。この連載が始まったきっかけが面白くて、談志師匠がアサ芸のインタビュー記事(92年6月11日号)で「昇太だとか浅草キッドなんて酷い。お尻のところにサボテン入れて笑わせてる。あんなこと芸人のやることじゃない」と俺たちを酷評したんだよね。
博士 今となっては談志師匠が浅草キッドのどのテレビを見たのか、わからないんだけど、昇太さんと共演していた関東高田組の芸人が総出演の「たまにはキンゴロー」や「夜鳴き弁天」か。それとも「北野ファンクラブ」での〝フルチン隊〟を見たのか。いずれにしてもサボテンをお尻に入れた記憶はないんだよ。
玉袋 高田先生がその記事を見て怒ってね。新宿の紀伊國屋ホールで高田先生の立川藤志楼の会があって、俺たちが出たんですよ。談志師匠の記事を担当していた当時の副編集長を浅草キッドが漫才やってる時に楽屋に呼んで、モニターの音声を大きく上げて爆笑を取ってるのを聴かせて、「どうだ? これが浅草キッドなんだよ」と。それで俺たちとアサ芸が和解してこの連載が始まったというのが一応、美談としてあります。
吉田 電撃ネットワークと間違えてた?
博士 電撃ネットワークではないと思うよ。まあ、事務所も同じ時期にあるし、一緒に番組はやってたから。
吉田 そこから32年。
博士 正直、これは構成のやまもと茂が偉いよ。俺たち、連載始まって以来、ノータッチだから(笑)。
玉袋 何にも書いてない。読んでねえぐらいだから(笑)。
─「まだ読んでません」の松本伊代システム。
吉田 年に2回集まって座談会して、その時、誌面用の写真を撮るぐらいで。
博士 そう。
玉袋 盆、暮れだけ。
吉田 連載だけでなくこの座談会も終わる? つまり、浅草キッドが会う機会が、もうなくなるということですか。
玉袋 まあ、そうなるかな。
吉田 ヤバいじゃないですか!
玉袋 ついに、ようやく。そんなことはねえんだけど(笑)。半期に1度こうやって集まってやっていただいたのは、感謝しかない。
博士 この座談会も色々ゲストはいたけど、最後の2回でベストの座組ができた。徳光さんというメッチャいい出会いがあったわけだけど。
徳光 いえいえ。
玉袋 で、来週から徳光さんの連載が始まるという・・・・。
徳光 そんなことはないですけど(笑)。
玉袋 豪ちゃんとここで座談会やるようになってからも、結構長いよな。
吉田 10年は経ってると思いますよ。
玉袋 MXの「バラいろダンディ」も終わるから。アサ芸も終わって。何もなくなっちゃうという。
吉田 キッドが会える場所を作りましょうよ、何とか。これがなくなったら本当に、ねえ。
博士 それはやりましょう。
─スキャンダル大賞は?
吉田 大賞はもうキッドしかないですよ。
博士 人騒がせな「アサヒ芸能人」を俯瞰で笑っていると思ってたら、32年で3回休養してさ。議員になってすぐに辞職して、松井元大阪市長と裁判やってて。これだけの芸能人のスキャンダルを扱ってきたわけだから、自分は事件を起こさないようにしてたんだけど、今年も元旦に緊急搬送されて死にかけてるしね。相当だよ。結構なアサヒ芸能人に成り果てたと思ってる。
玉袋 ナンシー関が最初に消しゴム版画を彫ってくれたっていうのはデカかったよね。あの頃、ナンシーが本当にエッジの効いた版画を作ってくれたんだよな。
─「アサヒ芸能人帽子」も流行りました。
玉袋 坂本龍一、中森明菜、阿部慎之助が被ったり。
博士 今回だってまだまだ話題は盛りだくさんだったけど、時間内に全部、消化しきれなかった。
徳光 そうですね、まだたくさんあります。
玉袋 桐島聡とかさ。
博士 そうだよね。指名手配犯には「おい、小池」をはじめ、折々にずいぶんお世話になったね。福田和子とかさ。
玉袋 それはキャリーオーバー。いつかまたお会いできるということで。
博士 この座談会をライブでね。こういうことをやってる人がいなさすぎる。
玉袋 まあ、これが何かの社会の役に立つのか、わからないけど、やってるというところがいいんじゃないですか。
博士 いや、これは役に立ちますよ。失敗する姿を、どういう風に失敗して、世間に風化させて、再起するかというのを学ぶわけだからさ。
徳光 そうですよね。
玉袋 じゃあ、俺も「別居」っていうジャンルに入れといてもらおうかな(笑)。32年の間に別居したって。
博士 あ、俺も近々別居するかも。
玉袋 えっ。
吉田 あんなに仲よさそうなのに。
博士 そう見えてるけど。
玉袋 すべて、そうよ。
博士 いや、なかなか難しいのよ、家庭は。
吉田 自宅でライブ配信とかするのは難しいんだろうなと思いますけど。
玉袋 徳さん、豪ちゃん、これからもよろしくお願いします!
博士 みなさん、ありがとうございました!
〈座談会参加者〉
水道橋博士:1962年生まれ。岡山県出身。/玉袋筋太郎:1967年生まれ。東京都出身。/吉田豪:1970年生まれ。東京都出身。/徳光正行:1971年生まれ。神奈川県出身。