昨今の日本列島は、全国のあらゆるところでクマの出没が相次ぐようになった。8月31日には長野県内にある小学校から300メートルの住宅地で、体長約80センチのクマが目撃されている。幸い被害はなかったものの、警察官が多数出動するなど、大捜査網が敷かれた。
7月にはゴルフ練習場でクマに襲われたという、秋田県の70代女性のニュース映像を見て驚いた。右目を激しく傷つけられ、鼻骨や頬骨を粉砕骨折。あばら骨も折る大ケガで、その恐怖たるや、まさに想像を絶する、言葉では言い表せないほど壮絶なものだったという。
相手が子グマだとしても、一撃で命を奪われる危険性があるというが、それがライオンやヒョウの場合、人間が受けるダメージはその数倍、いや数十倍になるのではないか。
そんな恐怖体験を経て、奇跡の生還を果たした女優が、かつて存在した。ケニアでライオンに爪を立てられ、そのわずか10日後に、今度はヒョウに噛みつかれて血だるまになったにもかかわらず、だ。
1986年1月27日、松島トモ子は日本テレビの番組「Time21」のインタビュアーとして、ケニアの首都ナイロビの北東約250キロにあるコラ国立動物保護区に「野生のエルザ」の著者、ジョージ・アダムソン氏を訪ねた。
コトが起きたのは翌日だった。アダムソン氏と歓談中に突然、ライオンに襲われ、頭と背中、太腿を負傷したのである。ナイロビのケニア国営病院で縫合手術を受けることになるのだが、幸いにして傷は浅く、2日間の入院後に再びロケを再開。
ところが、だ。10日後の2月7日、今度は野生動物を見に行く途中でヒョウの襲撃を受けると、ギプスをしている首をガブリ。生涯で誰もが決して味わうことはないであろう、とんでもない体験だったのである。
その後、Tシャツにジーンズ姿で成田空港に降り立ったのは2月17日。囲み会見に臨んだ松島は、カメラのシャッター音、フィルムを巻き上げる音にビクッとしながら、瞬間の恐怖を語った。
「(ライオン襲撃時は)気が付いたら大きな顔があって、あとから聞くと5~6メートル引きずられて、体が飛んでいくようで…。それからあとのことはわかりません」
続いてヒョウ体験に言及する。
「後ろから首に噛みつかれて、骨が砕けるガリガリという音が聞こえて。すごい血で、今度は死ぬかと思いました」
その場面を思い出したのだろう、大きな目がみるみる充血していく。だがそんな状況にあってもなお、早期帰国を勧めるスタッフにこう言い放ったという。
「それじゃ私は、アフリカまでライオンとヒョウに食べられに来たようなもんじゃないの!」
この「事件」で、ナイロビでは超有名人になったそうだが、それも命あればこそ。帰国後、数年が経過した時に彼女の自宅を訪れ、インタビューさせてもらったが、首にはまだスカーフが巻かれていた。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。