日本サッカーには1993年の「ドーハの悲劇」や1996年の「マイアミの奇跡」、1997年の「ジョホールバルの歓喜」、2022年の「ドーハの奇跡」など、歴史を変えた節目の試合がある。2001年の「サンドニの悲劇」もそのひとつだ。
「サンドニの悲劇」は、トルシエ監督率いる日本代表が、1998年W杯フランス大会で優勝したフランス代表を相手に、敵地サンドニのスタッド・ドゥ・フランスで親善試合を行い、何もできずに0-5で敗れた試合を指す。「ドーハの悲劇」や「マイアミの奇跡」はのちに選手たちが試合を振り返っているのに対し、惨敗した「サンドニの悲劇」が語られることはほぼない。そんなフランス戦について、試合に出場した城彰二氏が自身のYouTubeチャンネルで初めて言及した。
城氏は69分に西澤明訓と交代してピッチに出たが、ほとんど覚えていないという。
「全く何もできないで終わった試合だった気がする」
敗因に挙げたのは、雨とぬかるんだピッチだった。
「スパイクのポイントは取り替え式の長いやつを履いていたんだけど、それでもくるぶしまで埋まる。田んぼでサッカーしてるみたい。止まろうとしても、滑ってしまう。だけどフランス代表の選手は(ピッチの悪さに)関係なくバランスよく立って、パスを回していた。日本の選手は全然それができなくて、(できたのは)ヒデ(中田英寿)ぐらいじゃない」
悪い環境に日本の選手が慣れていなかったことも、敗因につながったと指摘した。
「フランスの選手はそういうところでも慣れてる。そういう場所で何度もやってる。日本の選手はそういう環境でやるのがあまりない。感覚が全くつかめないまま、終わってしまった」
何もできないまま完敗したとはいえ、収穫はあったそうで、
「フランス代表は(悪いピッチの)経験値が高いし、プレーできちゃう。それは環境の違いだし、あの時の日本代表選手は、なんで彼らはバランスを取りながらできるんだろう、って感じたと思う。あの試合から日本でも『体幹』という言葉が出てきたし、体幹トレーニングが出てきた。しっかりとした軸を作らなきゃいけないと、やり出した。あの試合がきっかけだったんじゃないか」
多くの選手がこの試合以降、海外でプレーする必要性を感じ、実際に欧州リーグに挑戦していった。それが今につながり、強い日本代表が作られたと、城氏は考えているそうだ。「サンドニの悲劇」は日本サッカーにとって、ムダではなかったということだ。
(鈴木誠)