春からは週1ではなく、低視聴率にあえぐフジテレビ「バイキング」のテコ入れとして、月~金のすべてで司会を任されることになったのが坂上忍(47)だ。お笑い芸人よりも視聴率が取れるというので大役を拝命したが、かつて天才子役ともてはやされた頃、まさか、バラエティで活躍する日が来るとは夢にも思わなかっただろう。
そんな坂上に「ロック歌手」の時代があったことは、あまり知られていない。デビューしたのは84年5月で、同じCBS・ソニーからは尾崎豊が半年早く世に出ている。同時期にデビューした吉川晃司、ビジュアル系の本田恭章とともに、坂上も「若手ロック四天王」に名を連ねていたのである。
ただし、役者から転向した理由も坂上らしい。
「子役時代からの役者の仕事がイヤになって、逃げる口実として音楽を選んだんだ。ところが歌手になったら、1日に15本の取材が続くなんて信じられなかった」
残念ながら尾崎や吉川ほどの実績は残せなかったが、ロック誌などではライバルとして対比された。坂上は尾崎のファーストアルバムを聴いて「クドくない?」と思ったそうだが、その過剰な空気が若者たちのカリスマとなった。
また夜の六本木では尾崎と吉川が飲み歩く姿を何度も目撃し、毒舌の坂上らしく「はしご酒チーム」と命名している。
坂上は1度だけ尾崎と2人きりで飲む機会があったが、そこで尾崎から「もう曲が書けない」という本音を聞いた。それでも尾崎が4人の中では最後まで歌い続けるだろうと思ったが、92年4月25日、26歳の若さで誰よりも先に亡くなるとは坂上にも信じられなかったそうだ。