大相撲が日本の国技として定着したのは、1909年(明治42年)、東京場所の「常設館」を「国技館」と命名したことに端を発する。だが実は、相撲の起源は宮中行事の相撲節会に遡る。
「日本書紀」によれば「相撲を最初に取ったのは女性」だとされ、江戸時代には興行として女性の裸相撲もあった。それが明治中期、神道とのつながりが強調されることになり、女性に相撲を取らせるのはもちろん、土俵に上げることもまかりならんという「女人禁制」が確立したのだそうだ。
そんなことから大正、昭和時代は無論のこと、平成になってからも「女人禁制」の慣習は健在。千代大海の断髪式で母親が土俵上でハサミを入れられず、千代大海が土俵を下りたり、春巡業の際に相撲協会がちびっこ相撲への女児の参加自粛を求め、「古いしきたりで子供たちの楽しみが奪われた」と問題視されたことがあった。
日本相撲協会は頑ななまでに、この「女人禁制」を貫いてきたのだが、やはり事件は起こった。2018年4月4日、京都府舞鶴市で開催された地方巡業「大相撲舞鶴場所」でのことだ。およそ3000人の観客が詰めかける中、横綱・白鵬と鶴竜をはじめ、252人の力士が参加した。
土俵の上で挨拶していた舞鶴市長が突如として、くも膜下出血により意識を失い、その場で転倒。観客として居合わせていた女性看護師が即座に土俵に上がり、救命処置を行ったのだが、日本相撲協会の行司はあろうことか、この女性らに対し「女性は土俵から降りてくださ~い」「男性がお上がりくださ~い」と場内アナウンス。さらには土俵下にいた相撲協会員も「下りなさい!」と注意する始末だった。
女性がしぶしぶ土俵から降りると土俵に大量の塩を撒いたことで、この大問題発言と大問題行動に「人権軽視」「女性差別だ」「時代錯誤も甚だしい」との猛烈な批判が殺到。大相撲界の根幹を揺るがす大騒動に発展することになったのである。
袋叩きに遭った相撲協会は即刻、「人命にかかわる状況には不適切な対応だった」として謝罪したが、この騒動は海外メディアにも配信された。
〈相撲の差別的な慣習が世間の厳しい目にさらされている〉(ニューヨーク・タイムズ)
〈日本で男女平等の実現を目指す中で、女性が直面する壁が明確に現れた事例〉(ワシントン・ポスト)
〈女性は清められた土俵を穢すとみなされている〉(英ガーディアン)
まさに世界中から袋叩きである。相撲協会側の言い分はこうだ。
「塩をまいたのは、力士に骨折や大きなケガがあった際の通例で、女性が土俵に上がったこととは関係はない。量も一般的なもので、安全祈願のため」
だが、あのタイミングでそんな行動に出れば、批判にさらされるのは当然のこと。この事件はその後の「土俵における女人禁制」の是非をめぐり、大いに物議を醸すことになるのだった。
(山川敦司)