一時代を築いた芸能事務所のイエローキャブが事業を停止。4億円の負債を抱え、自己破産を申請することになった。
1980年設立のイエローキャブは、堀江しのぶやかとうれいこなどバストが売りのグラビアアイドルをメインに据えて成功。その後も雛形あきこ、小池栄子、佐藤江梨子らが「イエローキャブ軍団」と呼ばれ、グラビアを席巻した。
「最盛期には所属タレントの写真集が立て続けに発売され、まるで月刊誌のようなペースでした。部数も10万部超は当たり前で、その印税だけでも毎月、数千万円の収入になっていたはずです」(芸能ライター)
そしてイエローキャブといえば、名物社長の野田義治氏の名を挙げないわけにはいかない。堀江らを見出した慧眼に加え、マンガ誌に自ら水着グラビアを売り込むなどアイデアマンでもあった。
「まだグラビアアイドルが今ほど一般的ではなかった80年代に、イエローキャブはお正月に所属タレントをハワイに連れて行き、マスコミ向けの撮影会を始めました。当時のハワイは著名芸能人が正月休みを過ごす場所として人気で、それを取材するマスコミも多く滞在していた。そこに所属タレントを連れていけば注目されるはずと考え、仕掛けていったわけです」(前出・芸能ライター)
野田氏の読みはズバリと当たる。イエローキャブの「正月ハワイ水着撮影会」は恒例行事と化し、正月明けのスポーツ紙にはビキニ姿の写真が当たり前のように載るようになった。2004年には「イエローキャブ軍団INハワイ」(日本テレビ系)という番組まで放送されたほどである。
しかし、ハワイ撮影会旅行のコストは事務所からの持ち出し。良くも悪くも古い芸能界体質の野田氏は、入ってきたお金を惜しみなく使うタイプだった。そして2004年には経営トラブルが原因で社長を解任されてしまう。だが野田氏を慕うタレントの多くは、野田氏の新会社・サンズへと移り、イエローキャブの所属タレントは一気に少なくなった。
小池栄子や佐藤江梨子などイエローキャブに残った人気タレントもいたが、番組・映像制作部門が不振で売上は減少。その2人が1月末で契約満了となり、それぞれ独立、移籍したことにより、事業停止に至ることとなった。
野田氏はかつて、事業を成功させるコツとして、「時代のニーズを考えながら初心を貫く覚悟で継続すること」と語っていた。時代のニーズを読み続けた野田氏のサンズは残り、イエローキャブは潰えた。いつの世も、先を読む者が生き残れるのかもしれない。