波乱万丈の人生とは、野人のサッカー人生をいうのかもしれない。サッカー元日本代表で「野人」のニックネームを持つ岡野雅行氏が、盟友である城彰二氏のYouTubeチャンネルに出演し、自身のサッカー人生を3回の配信で振り返っている。その3回目が配信され、岡野氏は高校時代から大学時代までの、山あり谷ありな時期を語った。
岡野氏は不良だらけの高校に入学し、ヤンキーを集めてサッカー部を作り、熱血指導して県大会で勝てるチームを作り上げた。3年生の選手権予選では、優勝候補に挙げられていたという。
ところが4回戦でPK戦に持ち込まれ、5人目のキッカーだった岡野氏が外して敗退が決定。野人の高校サッカーは幕を閉じた。その時、こんな感動秘話が誕生したのである。
「外した後、大泣き。みんなに申し訳なくて。泣いていたらみんながやってきて『いやー、岡野でよかったよ。お前じゃなかったら、俺ら絶対外せないから』って。あの時はヤバかったですね」
元不良の仲間が岡野の失敗をフォローしてくれたことに感動した、と振り返ったのである。一方で高校生の時はこんなこともあったと…。
「名波(浩)とか水内(猛)の試合を、中学校の時のヤンチャな仲間と国立(競技場)に見に行った。チアガールが応援してるから(※ここでピー音)見てたのよ。そしたら、それが水内の彼女だった、っていうね(笑)。次の試合になったら(観客席の)上にいたチアガールが下で応援してるんだよ。お前らのせいだ、って」
そんな高校生活を送っていた岡野氏だが、日本大学の準附属高校だったことで、日大に進学。大学ではサークルに所属し、楽しいキャンパスライフを送るつもりだった。しかし、サッカー部が部員を募集しているのを知って、テストに参加。運良く4ゴールを決めて、入部を許された。
とはいえ、洗濯係として練習にはほとんど参加できず、試合にも出るどころか、見ることもなかったのである。
そんな岡野氏に、転機が訪れる。
「日大サッカー部OBの方が常任コーチになってくれた。洗濯係だったけど練習を頑張っていたら、天皇杯で1回だけサブに入れてくれることになった。なんであいつを出すんだ、という身内からのブーイングを受けながら、試合に出たら6点取った。そこから人生が変わった」
こうして岡野氏は大学3年生の時に浦和レッズから熱心な誘いを受け、中退して浦和に入団。それから後の活躍は言うまでもない。
サッカー部がない高校に入学し、自分でサッカー部を作り、選手権のスタンドでチアガールのチラリを見ていた少年が、日本代表選手になってW杯初出場のゴールを決めるとは…。日本一の「成り上がりサッカー選手」である。
(鈴木誠)