Jリーグ開幕直後は「お荷物」と呼ばれながらも、多くのサポーターを抱えてビッグクラブになった浦和レッズが「J2に降格」したのは1999年のことだ。あれから25年。当時、浦和の中心選手だった福田正博氏が、前園真聖氏のYouTubeチャンネルで、降格の三大要因を明らかにした。
まずひとつ目は、監督采配だ。浦和は原博実監督を解任し、残留のためオランダ人のア・デモスを後任に迎えた。ア・デモス監督は最後の5試合が大切だと選手に説き、J1残留を達成しようとしていたと、福田氏は言う。
「その5試合で俺は点を取っていたのに、最後の広島戦は先発から外された。チームでいちばん点を取っていて、残りの5試合でもいちばん点を取ってるのに、メンバーから外された。FWの中でも最後の出番だった。残り9分しかチャンスを与えてくれなかった。俺の前に結果を残していないFWの選手たちが使われていた」
福田氏は、自分をスタメンで使わなかった監督の采配が要因のひとつである、と訴えたのである。それも納得で、福田氏は延長後半1分にゴールを決めている。投入がもっと早ければ、あるいはスタメン出場だったら、90分内でゴールを決め、残留を引き寄せていた可能性は高い。
2つ目の理由が「森保一の本気」である。
「試合の後、俺が泣いていたら、対戦相手の広島にいた森保が来てくれて『来年、上がればいいじゃないですか』って言ってくれたんだけど、その言葉を聞いて涙が止まらなくなった。今思うと、じゃあ手を抜けよって話なんだけど。広島は何もかかっていなかったんだから。あいつはどんなことがあっても手を抜かない男なんだなって、今あらためて思う」
もちろんこれは冗談混じりだ。
ゴールの後、1年目の池田学が残留と勘違いして福田氏に抱きつき、それを振り払ったシーンは有名だが、このシーンにも降格の理由を感じたと、福田氏は振り返ったのである。
「彼は新人で、1年目の何もわからない中でやっていた。彼は悪くはないと思うけど、あの試合を戦っている意味を理解していない選手がピッチにいたことも事実。それが当時の浦和レッズの現状だった。それが残留できなかった大きな原因」
2つ目以外はどれも「なるほど」と思ってしまう。
(鈴木誠)