松本人志の行方が危うい。自身の性加害報道をめぐり、「週刊文春」の発行元である文藝春秋に対して5億5000万円の損害賠償を求めていた裁判は、予想外の「取り下げ」で幕を下ろした。
これで一気に地上波テレビの担当番組が松本復帰に向けて動き出すかと思いきや、全くそんな声は聞かれない。地上波ではなく、NetflixやAmazonプライムといった配信系の出演、さらにはかつてのデビュー時と同じく、劇場から再スタートという話が見受けられるのだ。ベテラン放送作家が語る。
「つまりは何も決まらない、白紙状態ということです。各局が他局の動向や世論を見ながら、探り合いをしている状況。もちろんスポンサーにも配慮しているでしょう。こうした足踏み状態を考えると、いかに昔はよかったかということです」
どういうことなのか。ベテラン放送作家が続ける。
「例えば1986年12月、ビートたけしが軍団員を引き連れて写真週刊誌『FRIDAY』を襲撃しました。交際女性を契約記者がケガさせたことにたけしが激怒し、編集部員に暴行。現行犯逮捕されました。その後、逃亡の恐れがないとして釈放されましたが、世間は大バッシングを繰り出した。そして半年間の謹慎を余儀なくされます」
翌1987年6月10日、東京地方裁判所が傷害罪でたけしに対し、懲役6カ月(執行猶予2年)の判決を下し、6月25日に刑が確定。
「すると1カ月も経たない7月10日から、たけし復帰を待ちわびていた日本テレビとTBSが早々に、たけしを復帰させます」(前出・ベテラン放送作家)
当時のたけしは日本テレビで「天才たけしの元気が出るテレビ!!」と「スーパーJOCKEY」に、TBSでは「風雲!たけし城」「世界まるごとHOWマッチ」に出ていた。
日本テレビ編成部はその時、たけし復帰の理由について「東京地裁の判決は6月25日をもって確定し、司法判断が決着した」とし、TBSも「事件直後からの謹慎状態が半年を超え、社会に対する償いを果たした」との声明を出している。フジテレビも、タモリと明石家さんまが司会を務めた「第1回 FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島」(現在の「27時間テレビ」)に飛び入り参加させるなど、テレビ局が主導してたけしを守っていた。
もちろん復帰した当時、テレビ局や所属事務所には各種団体が抗議に訪れたが、やがて鎮静化。SNSやネットが世論を動かしていく今では考えられない、不祥事に対するテレビ業界の対応だ。はたして松本の命運は…。
(魚住新司)