1999年1月31日、ジャイアント馬場逝去。大黒柱を失った全日本プロレスは、馬場の後継者が決まらないまま、取締役の百田光雄とジャンボ鶴田、取締役選手会長の三沢光晴によるトロイカ体制で、2月13日の後楽園ホールにおける「ファン感謝デー」から興行を再開したが、その1週間後の2月20日には鶴田が引退を発表した。
92年にB型肝炎を発症して第一線を退いた鶴田は、筑波大学大学院の体育研究科でコーチ学を学んで教授レスラーとなり、慶應大学、桐蔭横浜大学、中央大学で体育学の教鞭をとりながら体調に合わせてリングに上がっていたが、アメリカのポートランド州立大学に客員教授として2年間赴くことが決定。現役引退だけでなく、取締役の辞任届を提出して全日本から完全に離れることになったのだ。
3月6日、日本武道館で引退セレモニーを行い、同月10日に家族とともにアメリカに旅立った。
社長不在の状態で新体制を模索する全日本の一方、1月4日の東京ドームで橋本真也が小川直也に事実上のKO負けを喫し、大仁田厚の邪道色にも染められて最強神話が崩壊してしまった、新日本プロレスも建て直しに苦戦していた。
小川が〝暗黙のルール〟を一方的に破って、プロレスの範疇を超える無法ファイトを橋本に仕掛けた黒幕はアントニオ猪木であるとした新日本は、改めて猪木が主宰する世界格闘技連盟UFOとの絶縁を発表。
橋本は猪木への怒りを露にすると同時に、新日本に対する不信感も拭えないとして契約更改を保留、当面の欠場を申し出た。
日本プロレス界の老舗2団体が揺らぐ中、立ち上がったのは若い世代だ。三沢と三銃士が極秘でミーティングをしたのである。
四天王と三銃士はプロレス大賞授賞式で年に1度は顔を合わせていたし、前年8月14日のプロレス写真記者クラブ主催「第2回写真展」のオープニング・パーティーで三沢と蝶野正洋のツーショットが実現。密かに連絡先を交換して三沢、小橋健太(現・建太)、仲田龍リングアナ、蝶野、武藤敬司で焼肉を食べたという。
そうした関係良好な中で、当時は参議院議員でプロレスラーとしては全日本所属の馳浩が、赤坂プリンスホテルの一室で三沢と三銃士を引き合わせた。これは三銃士側からの要請だった。
「ミーティングはいい感じでしたね。新しいものを作っていきたいという共通の気持ちがありましたし、やっぱり肌を合わせることへの期待っていうのをレスラーは持っていますからね」
と馳は述懐する。
武藤と蝶野は橋本をどういう形でリングに戻すか苦慮していて、そこで馳が考えたのは全日本5.2東京ドームでの復帰戦だった。
「橋本が復帰するのに、よりインパクトのある戦いを考えた時に〝東京ドームで橋本と川田をやらせたらどうか?〟ということで。橋本も乗り気だったし、三沢も新たな全日本プロレスを打ち出していく上で〝川田と橋本をやらせれば、また新たな全日本の風景を見せられるんじゃないか〟と、非常に前向きでした」(馳)
川田は1月22日、大阪における三沢との三冠戦で右腕尺骨骨折の重傷を負い、この5.2東京ドームで復帰することになっていた。それが橋本戦となれば、川田にも最高の舞台となる。
だが全日本5.2東京ドームで、川田VS橋本は実現しなかった。全日本のオーナーの馬場元子夫人が「馬場さんと所縁のない人をリングに上げたくない」と反対したのである。
それでも、このミーティングは無駄ではなかった。
「俺らの時代で垣根が取れればなっていう考えはあったからね。話してみて、意外と自分以外の周りことを考えているのは蝶野選手。武藤選手は〝何とかなるや〟っていう楽天的なタイプに感じたよね。橋本選手は‥‥プロレスをよくしようっていうのは感じられたけど、やっぱり〝自分が前に!〟っていうのをちょっと感じざるを得ないところがあったかな」(三沢)
「三沢はイメージと違う人ではなかったよ。裏表を感じさせないというか、朴訥としたというか、ボソボソッとした喋りの中でも言うことはしっかり言う。意見を絶対通してくるっていう芯の強さを持っていたような気がする」(武藤)
そうしたお互いの好印象がのちに交流戦、対抗戦につながった。
三沢が2000年8月にプロレスリング・ノアを旗揚げすると、同年11月にZERO‒ONEを設立した橋本の求めに応じて対抗戦が実現。02年には新日本の現場責任者になった蝶野の求めに応じて、5.2東京ドームに三沢が参戦して蝶野VS三沢も行われた。
04年7月10日のノアの東京ドーム初進出で三沢と小川良成が組み、全日本の社長となった武藤と太陽ケアのタッグ対決も実現した。
そして幻に終わった川田VS橋本も04年2月22日、武藤・全日本と橋本ZERO‒ONEの対抗戦として全日本の日本武道館で三冠戦という形で実現している。
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。