1997年の新日本プロレスは、オーナーのアントニオ猪木の介入によって小川直也という劇薬が投下されて、東京(2回)、ナゴヤ、大阪、福岡の日本縦断ドームツアーを成功させた。プロレス業界の盟主としての底力を見せたが、新日本人気は小川効果による格闘技路線だけでなく、真逆に位置する蝶野正洋率いるNWO効果も大きかった。
新日本は95年秋からUWFインターナショナルとの対抗戦に突入。これに危機感を持ったのが天山広吉、ヒロ斎藤とヒール・ユニットの狼群団を結成していた蝶野だった。それまでの新日本は正規軍と狼群団、平成維震軍の3軍対抗が主軸だったが、Uインターとの対抗戦がメインになったために狼群団はメインストーリーから外れたのである。
危機感を持った蝶野が注目したのは、アメリカWCWで人気を博していたNWOだ。NWOは96年7月、WWF(現WWE)からWCWに電撃移籍したハルク・ホーガンが同じくWWFのトップだったスコット・ホール、ケビン・ナッシュと結成したヒール・ユニット。
反体制として「我々が新世界を創造する」と主張するNWOはベビーフェースとヒールを超越する人気を誇り、WCWはテレビ視聴率でWWFを上回るようになった。
新日本の96年の全日程を終えた蝶野は、12月16日のフロリダ州ペンサコーラにおけるWCWのテレビ生中継「マンデー・ナイトロ」に出場。新日本のTシャツを破り捨ててNOW入りを宣言し、ホーガンと握手。年明け97年1月には、新日本との専属契約を拒んで1シリーズごとのフリー契約になり、新日本とWCWを股にかけてファイトする道を選択した。
新日本との専属契約はテレビ朝日との契約も意味する。WCWの「マンデー・ナイトロ」にも出るために蝶野はフリー契約を選んだのだ。それだけNWOに本腰を入れていた。
1月20日からWCWに参戦して「ファイティング・スピリット’97」第4戦の2月2日の後楽園ホールにNWOのスコット・ノートン、マーカス・バグウェルとともに帰国すると、NWOのTシャツを着て登場。NWOのメンバーの象徴・黒いサングラスを掛けて登場した蝶野に大歓声が上がった。
蝶野は単にWCW内のNWOの一員メンバーになるというだけではなく、新日本を巻き込むムーブメントを起こす。狼群団の天山&ヒロを合流させてNWOジャパンを結成。WCWの本家NWOからNWOスティング、ブライアン・アダムス、マイケル・ウォールストリートらも呼び込んで一大勢力にした。
そして8月からグレート・ムタがNWOムタとして合流。10月には素顔の武藤敬司もNWO入りした。
「俺がNWOに入ったのは、その時の自分にちょっと退屈していたのかもしれないし、40代半ばでオレンジのショートタイツも嫌だなあとかさ。NWOになって、いいチャンスだからパッとロングタイツに変えたよ」と武藤は笑う。
猪木の意向で新日本が小川中心の格闘技路線に向かうことを拒絶するファンにとって、現在進行形のアメリカン・プロレスと連動するNWOは魅力的だった。
蝶野がラッキーだったのは、WCWに顔が利くマサ斎藤という後ろ盾があったことだ。マサ斎藤は猪木に心酔していたものの、格闘技路線には反対だったのだ。
そしてNWO人気を爆発させたのがTシャツ。〝nWo〟のロゴが入ったクールな黒のTシャツは、プロレスに興味がない若者の間でもお洒落なアイテムとして流行したのである。さらにプロレスの枠を超えて、横浜ベイスターズの三浦大輔やJリーグのジュビロ磐田・中山雅史がサポートメンバーになるなど、NWOは社会的ブームになった。
97年10月6日にはNWOジャパンのメンバーが横浜スタジアムを訪れて大矢明彦監督、鈴木、三浦、佐々木主浩らを激励。4日後の10月10日にNWO主役シリーズ「NWOタイフーン」が開幕し、同月10.19神戸で蝶野&武藤が佐々木健介&山崎一夫からIWGPタッグ王座を奪取。同年暮れの「SGタッグリーグ戦Ⅶ」でも、蝶野&武藤が橋本真也&中西学を撃破して優勝を果たした。
「小川がプロに転向して、知名度があるからバンバン取り上げられたけど、俺と蝶野が手を組んだ時にはNWOのブレイクの手応えを感じたよ」(武藤)
小川を軸とした格闘技路線とアメリカン・プロレスをベースにしたNWOが絶妙なバランスで両輪となったことによって、97年の新日本の隆盛があった。
98年になってもNWO人気は衰えることなく、8.8大阪ドームで蝶野が藤波辰爾に勝ってIWGPヘビー級王座を初戴冠。だが、9月に椎間板脊椎症によって王座返上を余儀なくされて5カ月間の長期欠場に。
これを機に蝶野と武藤のパワーバランスが崩れて、NWOジャパンは蝶野派と武藤派に分裂。蝶野は新たにTEAM2000を結成することになる。
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。