3年程前、旧赤坂プリンスホテル跡地前を車で通過する際、ほろ酔いだった殿は、解体作業が進む赤プリを見て、弟子にしみじみとこう漏らしました。
「赤プリはなくなったけど、俺はまだ売れてるな~。どうだ、大したもんだろ」
漫才コンビ・ツービートの“よく喋る小さい方”として80年代前半、突如としてテレビに現れた殿は、その後、浮き沈みの激しい芸能界において、いつの間にやら日本の誰もが知っている“お茶の間の顔”となりました。あれからすでに30数年が経ちます。今日まで、事件と事故での謹慎&静養期間のインターバルを除けば、長きにわたり、レギュラー番組が週6本を下回ることのない状態を常にキープし、25年程前から始めた映画監督業でも、ほぼ1年半に1本のペースでコンスタントに作品を制作し続け、現在までに17本の映画を発表しています。芸能という世界において、殿の横綱相撲っぷりは、間違いなく過去に例のないタレントであると、つくづく思うのです。
だからか、以前、日本球界からメジャーの人気球団へ“ちょっとありえない年俸”による超大型契約で入団が決まった、ある野球選手の入団会見を見ていた時、殿はポツリと、
「俺も毎年結構な大型契約だけどな」
と、自身の“稼ぎっぷり”について、冗談混じりにおっしゃられていたことがありました。確かに!
さらに以前、酒席でも、
「『スーパージョッキー』やってた時は、毎週アイドルなんかがやってきて、デビューしてったけどよ。今残っているやつなんて誰もいねーな。みんなどっかいっちゃったよ。しかし俺はしぶといな」
と、改めて“芸能界で生き残ることの過酷さ”について指摘されていたこともありました。
で、この手の殿の“長きにわたり売れ続けている俺”的発言の中で、殿から何度か聞かされた、わたくしが大好きなお言葉もどうぞ。
「俺がテレビに出だした時なんてのは、お笑いなんてこの世界で一番扱いが低かったんだから。歌手が一番偉くて、その次が役者だよ。その下に何やってんだかよくわからねータレントなんかがいてよ、お笑いはさらにその下だよ。それが萩本さんがドカンと売れて、お笑いの扱いがよくなってよ。その後に俺やさんまなんかが出てきてじゃんじゃん自分の番組を持つようになって、一気にひっくり返したんだから。昔は歌手がお笑いの楽屋に挨拶に来るなんて考えられなかったんだぞ」
そんな、“かつて例のない売れ続けぶり”をいまだ爆進中の殿が3年程前の年末、
「しかし今年は異常な忙しさだったな。今あれだな。ビートたけし第四期黄金時代だな」
と、自身の1年を振りかえっていたことがありました。この言葉を聞いたわたくしは即座に、〈第四期って! ずーっと売れ続けてるじゃないですか。僕らには境目がわかりませんよ!〉と、心の中で静かにツッコんだのでした。
◆プロフィール アル北郷(ある・きたごう) 95年、ビートたけしに弟子入り。08年、「アキレスと亀」にて「東スポ映画大賞新人賞」受賞。現在、TBS系「新・情報7daysニュースキャスター」ブレーンなど多方面で活躍中。本連載の単行本「たけし金言集~あるいは資料として現代北野武秘語録」も絶賛発売中!