バースにフィルダー、そしてオマリーと、超優良助っ人選手を次々と手放すも、代わりに連れてくるのはスカばかり…。1997年4月、低迷する阪神が大枚をはたいて連れてきた「救世主」が、通算打率3割、130本塁打というボストン・レッドソックスのスラッガー、マイク・グリーンウェルだった。
年俸は当時の球団史上最高額の推定3億6000万円。契約金も含めると4億円近い超大型契約として、大きな話題になったのである。
初来日の際、ウエスタンブーツにテンガロンハット姿で颯爽と現れ、虎ファンの熱い視線を浴びたグリーンウェルだったが、春季キャンプ中、あろうことか「アメリカで展開しているサイドビジネスの契約更新」を理由に、突然の帰国。さらには「キャンプ中に背中を痛めた」としてなかなか再来日しない。結局、日本に戻ってきたのは、シーズン開幕後の4月下旬。その後の「調整」を経てようやくお目見えしたのが5月3日、甲子園球場で行われた広島戦だった。
大物外国人は「5番・左翼」でスタメン出場し、5打数2安打2打点の大活躍で勝利に貢献。ファンの期待が最高潮となった5打席目は走者一掃の三塁打で試合を決定付け、「さすがはメジャーリーガー」と虎ファンを唸らせた。
翌5月4日の試合は、満塁のチャンスに勝ち越しタイムリーを放ち、3安打の猛打賞。5日の試合でも3試合連続でヒットと打点を記録する。その実力をいかんなく発揮…と、ここまではよかった。
5月10日、東京ドームでの巨人戦で「事件」は起きる。この試合で右足に自打球を当てたグリーンウェルは、翌日の試合にも出場したのだが、精密検査の結果、骨折していたことが判明する。すると、驚くべき言葉を放ったのである。
「背筋痛に続いて、今度は足の指を骨折した。これは『野球から身を引け』ということに違いない」
開幕直後の、まさかの引退宣言である。阪神のフロントが大慌てで説得にあたるも、本人の意思があまりにも固いことから退団を了承し、なんと5月14日、急きょ甲子園球場内での引退会見となった。そこで飛び出したのが、
「骨折は神のお告げ。身を引く潮時だ」
まさに野球界の歴史に残る、驚きの理由だったのである。
結局、グリーンウェルが日本で出場したのは7試合のみ。残した成績は26打数6安打、5打点・0本塁打、打率2割3分1厘。単純に年俸3億6000万円を安打数6で割ると「ヒット1本=6000万円」。
後年、グリーンウェルは日本のテレビ番組にVTR出演した際に、カネの話に言及している。「史上最低の助っ人」のレッテルを貼られたことについて、
「契約金の全てを返す、と阪神タイガースのオーナーに言ったんだ。そうしたらオーナーから『正直ないい人だ』ということで、返金はなくなった」
引退後はカーレーサー、プロ釣り師と様々な顔を持つ一方、アメリカで牧場を経営し、悠々自適の生活を送っているとされる。
当時の吉田義男監督は「なんや、嵐のように来て、嵐のように去って行きましたなぁ」との迷言を残したが、虎ファンにとってもある意味(ほぼ悪い意味で)、記憶に刻まれた選手だったのである。
(山川敦司)