90歳になった今も、現役でパーソナリティーを務める浜村淳。放送開始から50年を超えた長寿番組「ありがとう浜村淳です」(MBSラジオ)で出会った大物女優の思い出やラジオが持つ魅力を余すところなく語ってくれた。さて皆さん、聞いてください!
1974年4月から24年3月まで、実に50年もの間、平日朝の生放送で軽妙な〝浜村節〟を届け続けた「ありがとう浜村淳です」。そもそも番組立ち上げの際、すでに司会者として人気者だった浜村が起用されたのは、ある事情があった。
「当時、芸人の方々は深夜ラジオのパーソナリティーを務めるようになって人気を博した時代でした。当然、この番組も芸人さんに白羽の矢が立ったのですが、『朝の早い番組は起きられへんから勘弁してほしい』と断ったそうですわ。私もね、ちょうど忙しい時期でしたから、『じゃあ、1年だけ』という約束で始めたのですが、『もう1年、あと1年』と延ばされていくうちに50年が経っていたということですね(笑)」
関西ローカルながら、不動の人気を誇っていたため、海外から大物ゲストが来ることも少なくなかった。その一人が、イタリアの名女優にして、世界中の男性たちのマドンナ、ソフィア・ローレン(90)だった。
「スタジオに入ってくるなり、一瞬で空気が変わってしまうような圧倒的なオーラがあってね。その頃すでに妙齢にさしかかってはいましたが、とってもセクシーなんです。しかも、胸元がざっくりと開いた衣装を着て、バストサイズが96センチもありましたから、思わず覗き込んでしまったんです。ほんだら、ソフィアの顔つきがパッと変わって、『立ちなさい!』って怒鳴られたんです。スタジオ中が静まり返って、私も直立不動の姿勢でじーっとするしかないし。あぁ、女性になんて失礼なことをしてしまったんやろう? って、反省してたら、ソフィアがね‥‥『立った方が、もっとよく見えるでしょ?』って、ニコッと笑ったんです(笑)。その一瞬、スタジオに春風が吹いたように和んでね。さすが、世界の名女優はお茶目なことをするなって思いましたよ」
フランスの名優、アラン・ドロン(故人)も忘れられないゲストの一人だ。
「アラン・ドロンを前にして、『太陽がいっぱい』『若者のすべて』『山猫』やとか、彼が出演した作品の魅力をダーッと語ったら、えらい喜んでくれたんです。ほんだら、彼が眼鏡のフレームの会社を経営していて、『きみに合う眼鏡を作って送ってあげる』って言うんです。でも、天下のアラン・ドロンにそんなことはさせられないんで、丁寧にお断りしたんですが、『いや、すぐに送ってあげるから、僕の秘書に住所を渡してくれよ』ってしつこいんですね。じゃあ、お言葉に甘えて、秘書の方に連絡先をお渡ししたんです。ほんで放送が終わったら、彼が私の横にそっと来て『フレームを送るから楽しみにしておいてね』って念押しされて。それから30年以上経ちますが、ひとつも眼鏡フレームなんか送って来ません(笑)。彼を知る人に話を聞くと、調子がいい方で相手を喜ばせるのが好きらしいんですわ。大物のそういう人間らしい姿に触れられたことが、今では宝物なんですよ」
この番組のみならず、ラジオには数え切れない思い出があると話すが、原点は、あの名作ラジオドラマだった。
「終戦間もない頃に放送したラジオドラマ『君の名は』(NHK)をよく聴いていました。菊田一夫の脚本で、放送時間になると銭湯から女性がいなくなると言われてね。実はこれ、松竹映画の宣伝部が作った売り文句やそうですが、それを信じてしまうぐらい庶民の中にラジオが息づいていたんですね」
その頃、浜村を夢中にさせたのは元NHKアナウンサーで、その後に名司会者となったあの2人だった。
「テレビ時代も活躍された高橋圭三さんや宮田輝さんは本当に素晴らしかった。今みたいなトークとか音楽の番組やなくて、炭鉱夫の方々を励ます『炭坑へ送る夕ゆうべ』や、『産業の夕』という番組に聴き惚れていました。上品なのに硬くないし、娯楽性もある。面白さといっても、演芸のようにゲラゲラ笑わすんやなくて、アナウンスをしながら笑いを作る技術があったんです」
直接、憧れの宮田輝からしゃべり手としての貴重なアドバイスを送られることがあった。
「その年にヒットした歌謡曲を表彰する『全日本有線放送大賞』(読売テレビ)という番組で、宮田さんと共演させていただいたんです。その時にね、『言葉を大切にしなさい』と教わったんです。テレビじゃなくてテレビジョンと言いなさいと。些細なことですが、それが今でも私の仕事の指針になってます」
その言葉を大切に、数々のラジオ番組を担当してきた浜村。冠番組は週1回のオンエアとなり、「ありがとう浜村淳です土曜日です」として今も放送中だ。
「90歳になってから、よく周囲の方々から『ギネス記録やないですか?』と言われるんですが、実はアメリカには100歳を超えたラジオパーソナリティ―がおったんやそうです。あと10年ラジオをやったら100歳ですから、その大台には、何とか達成したいというのが目標です。超高齢化社会なんで、私のしゃべりが、聴く人たちの些細な希望になってくれたらこんなにうれしいことはない。その時まで、まぁ、ぼちぼちやっていきますよ」
ありがとう浜村淳!